日本中が沸いた冬季オリンピック。日本人選手のメダル獲得に涙するキャスターの姿を見て、「時代は変わった」と確信した──。かつて福島テレビのメインキャスターとして、東日本大震災の最前線にいた関口由香里さん。当時はたとえ嬉しいニュースであっても「感情を表に出すこと」がよしとされず、被災した当事者でありながら、ひたすら感情を抑えカメラの前にたち続けました。

 

「不謹慎」という世間のお叱りを受け、ジェルネイルをハサミで切り落とし、使命感だけで伝え続けた日々。しかし、震災が「悲劇」として固定化され、いつしか「腫れ物」になっていく現状に直面します。

 

15年が経った今、彼女は経済安全保障・産業戦略アナリストとなり、まったく別の視点で福島を見つめています。感情を捨て、事実という「確かな土台」を手に入れた彼女が問いかける「腫れ物扱いするより、もっと話そう」という真意に迫ります。

道路が目の前で割れたあの日

2000年に福島テレビに入社し、報道番組のキャスターを務めていた関口由香里さん。15年前の3月11日、彼女は福島市内の自宅マンションで、新幹線に乗る準備をしていました。

 

ニュースを伝える関口由香里さん
真剣な表情でニュースを伝える関口由香里さん(提供/福島テレビ)

「その日はちょうど勤務が休みの金曜日でした。東京の友人に会ってから埼玉の実家に帰省しようと、支度をしていたんです。

 

家を出ようとスーツケースを持ち上げた瞬間でした。携帯電話の緊急地震速報が鳴り響き、凄まじい揺れで家具が倒れてきて、床に這いつくばるしかありませんでした。やっとの思いで玄関のドアを開け、外に出たんです」

 

福島市を襲った震度6弱の揺れ。命からがら外へ脱出した彼女の目に飛び込んできた光景は、今でも忘れられないといいます。

 

「電柱がなぎ倒され、目の前のアスファルトが生き物のように開いたり閉じたりしているんです。道路が裂けるときに『ウワンウワン』という聞いたことがない音が鳴り響いていました。これは大変なことになった。そう直感し、携帯だけ握りしめて会社まで走り出しました」

 

同僚の無事を確認した瞬間、安堵からその場で大泣きしたのを今でも覚えているという関口さん。それも束の間、すべてのテレビ番組が地震を伝える緊急特番に切り替わり、関口さんはヘルメットを被って、原稿もないままスタジオへと入っていきます。