「母みたいなことは、とうてい真似できない」。 父親の暴力から5人の子どもを連れて逃れ、児童養護施設を経て、母子家庭として自分たちを育て上げた母親。映像作家・絵本作家の西坂來人さんは、その背中を深い尊敬とともに見つめてきました。 一方で、なぜ父親は暴力を止められなかったのか。その背景を探ったとき、西坂さんは父と祖母との間にあった長年の確執、そして世代を超えて受け継がれてしまった「負の連鎖」の正体に気づきます。家族を襲った悲劇の裏側を知ることで、ようやく解けた「呪い」とは。

夫の暴力から逃げ1年で離婚、子ども5人を引き取った母

── 西坂さんは、もともとご両親と5人きょうだい、祖父母の9人家族だったそうですね。しかし、父親による家庭内暴力で、おばあさんの命が何度も危険にさらされ、警察沙汰に。しばらくして、お母さんもお子さんたち5人を連れて家を出て、婦人相談所(現在の女性相談支援センター)に駆け込まれます。その後、西坂さんとごきょうだいは一時的にお母さんと離れ、児童養護施設で1年半ほど生活をされたとお聞きしました。

 

西坂さん:そうです。小学5年生から小学校卒業までの1年半ほどを、4人のきょうだいと一緒に福島県相馬市の施設で過ごしました。母は僕らを施設に預けた後、裁判を起こして父と離婚。行政の支援を受けながら自立に向け必死に働いていました。でも2、3か月に一度は僕たちに会いに来てくれた。たぶん、施設の中で面会の頻度はいちばん多かったと思います。

 

父に僕らへの接近禁止命令が出るかどうかのタイミングだったこともあり、「早く一緒に住みたい」 という母の思いは強く、わずか1年半で生活の土台を整え、僕たちを迎えに来てくれました。まわりからは「ここまで早く生活を立て直せるなんて」と驚かれたそうです。そんな母を、ずっと尊敬しています。

 

── 退所された日のことを覚えていますか?

 

西坂さん:職員さんからは母が迎えに来ることは直前に知らされたんです。「うそでしょ?」って夢のようでした。それから6畳2間のアパートで家族6人の生活が始まりました。初めて家に入ったときは「ここで新しい生活が始まるんだ」ってワクワクしたのを覚えています。