「母を救うために、僕はプロの支援者になった。けれど、家でも外でも“支援者”であり続ける日々に、心は限界を迎えていました」。中学2年生から母のケアを担い、精神保健福祉士の資格を取った坂本拓さん。しかし、プロの知識を得た彼が辿り着いたのは、母を支え続けることではなく、母と離れるという「自立」でした。「そうしなければ、自分は生きられなかった」。共依存の沼から抜け出し、家族を「家族」に戻すためにくだした、14年前の決断とその先にあった「現実」を追います。
月10万円のローンと、家でも続く「24時間ソーシャルワーカー」の限界
── 坂本さんは、うつ病とパニック障害を持つお母さんのケアを続けながら専門学校に通い、精神保健福祉士の資格を取得されました。
しかし働き始めて1年目のころにご両親が離婚。家のローンを坂本さんが払っていくか、家を売って別々に住むか、大きな選択を迫られたそうですね。
坂本さん:はい。母と住む家のローンが10年ほど残っており、義父からの援助もなくなりました。僕の初任給と母の障害年金を合わせれば月々10万円は返済可能でしたが、限界がきていたんです。職場だけでなく、家でも24時間ソーシャルワーカーを続けている感覚。友人を自由に呼ぶこともできず、休める時間がどこにもありませんでした。
── 悩んだ末に「家を売って、ひとり暮らしをしたい」と伝えたとき、お母さんの反応はどうでしたか?
坂本さん:意外にも母はスッと受け入れ「あなたが思う道に進んでほしい」と言ってくれました。その瞬間、病気になる前の明るくて力強かった「母らしさ」に触れた気がして、救われました。僕はそれまで、母を「ケアが必要な弱者」という大きな布で覆い隠していたけれど、母の母らしさはずっとそこにあったんだなって。母には、僕のしんどさを受け止める強さがまだ残っていた。病気を発症しても、その人らしさが失われた訳ではない。それに気づけたことは、支援者としても大きな学びになりました。