「リビングに落ちていた、血のついた包丁。それまで『子どもがいれば幸せ』と言っていた母の異変に、14歳の僕は、僕がしっかりしなきゃというスイッチが入ったんです」。母親がうつ病とパニック障害を発症し、多感な学生時代にヤングケアラーとなった坂本拓さん(35)。過呼吸で倒れる母の手を握り、不安を聞き続ける日々。みずからも不眠や自傷行為に陥りながら、周囲にはいっさい助けを求めませんでした。「カッコいい母」のイメージを守るために、みずから殻に閉じこもり、社会から孤立することを選んだ少年の後悔と葛藤を追います。
「お母さんがいればいい」父不在の家庭で育った、強すぎる母子絆
── 坂本さんの幼少期は、どのような家庭環境だったのでしょうか。
坂本さん:母と4歳上の姉、祖母、そして僕の4人家族でした。僕と姉は父親が違い、実の父とは物心つく前に離婚していたので、ほぼ記憶にありません。母はシングルマザーとして子ども2人を養うため、バリバリと働くパワフルな人でした。つらい顔は見せず、父親役も担って愛情を注いでくれた。僕にとって母は絶対的な精神的支柱で、「お母さんがいれば生きていける」と心から信じていました。

── その後、お母さんは何度か再婚されました。多感な時期に、家庭環境が変化したのですね。
坂本さん:はい。僕が小学生のころに再婚して数年で離婚、中学生のころにまた違う男性と再婚しました。母から「再婚しようと思う」と聞かされたときは「してほしくない。僕にはお父さんはいらない」とはっきり伝えました。でも、母一人での子育ては経済的にも精神的にも限界だったのでしょう。再婚相手を「お父さん」として受け入れなければならない生活は、正直に言って苦痛でした。