「お母さんになるんだ、私」

── 母親になる実感は徐々に湧いてきましたか。

 

鍋谷さん:子どもの性別がわかって「お母さんになるんだ、私」という実感がいっそうこみ上げてきましたし、気が引き締まりました。これまでひとりの人間として、自分が主で生きてきましたが、守るべきものができたことで徐々にですが、親になる自覚ができ上がりつつあるような気がします。

 

出産後は育児が始まるわけですが、選手時代は自分のコンディションやメンタルと向き合い続けていたからこそ、人を育てるのは不思議な感覚だとも感じています。とにかくワクワクとドキドキでいっぱいです。もちろん、育児だけではなく、仕事とのつき合い方もこれからどうしていくのか考えるのも楽しいですね。

 

── 先輩ママからは何かアドバイスがありましたか。

 

鍋谷さん:11歳のお嬢さんを持つママで、現役時代も競技と子育てを両立してこられた荒木絵里香さんと話したり、チームスタッフに「奥さんのときはどうでしたか?」といろいろ聞いて参考にさせていただいています。病気の事情を知っていたり理解している方も多く、会ったときに「大丈夫?」と心配して声をかけてくれるので、そういった意味では本当に環境に恵まれているなとあらためて感じていますね。

どんなに苦しい時期もバレーボールが好きだった

鍋谷友理枝
バレー経験者の両親をはじめ、家族に支えられた現役時代だった

── 2019年にはボールが顔面に直撃し、右目の硝子体出血で失明危機が訪れ、以降はゴーグルを着用してのプレーが必須でした。いくつもの病気を患って、ときにはご自身の運命を恨んだこともあったかもしれません。それらの経験を通して鍋谷さんの価値観に変化はありましたか。

 

鍋谷さん:病やアクシデントに何度見舞われても、私はそのたびに人に助けられ、乗り越えることができました。いろいろなご縁で成り立っていたバレー人生でしたし、それがなければ今の私はきっとここにはたどりつけていませんでした。人とのつながりが大事だと改めて痛感させられた現役時代でしたし、それはこれからも続くと思います。

 

── 病気やアクシデントがありながらも、現役を続けられたのはやはりバレーボールが好きだという気持ちが大きかったからでしょうか。

 

鍋谷さん:くじけそうになっても、やっぱり気がついたら体育館にいましたし、近くにはいつもバレーボールがあったんです。いい意味で離れられない存在であり、バレーボールで育ってきたのが私。病気で苦しくても、「悔しいのはバレーが好きで元に戻ってプレーしたいからだよね」といつも脳内で変換していたんですが、それはバレーボールが好きだった、その気持ちに尽きると思います。

 

振り返ると、高校卒業後、社会人になってからは怪我や病気など、本当にいろいろなことを経験しました。そこでくじけず頑張ることができたのは、中途半端に終わったら一生後悔することになるというマインドがあったからこそ。選手としてバレーボールができる時間は限られています。だからこそどんなに苦しくても続けられたと思います。

 

── 今後の鍋谷さんの夢を聞かせてください。

 

鍋谷さん:昨年から所属するクインシーズン刈谷ではチームアドバイザーという新しい立場になって活動しています。まだまだ手探り状態で「これでいいのかな?」と試行錯誤の毎日なのですが、自分が経験したことも含め、これからさらに知識を身につけながら、バレーはもちろん、バレー以外の面でも選手たちをサポートしていけるような存在になりたいと考えています。

 

取材・文:石井宏美 写真:鍋谷友理枝