「専門医を受診してください」。日本代表候補に選ばれた矢先、メディカルチェックの結果通知に書かれていたひと言で、バレーボール元日本代表・鍋谷友理枝さんの人生は激変しました。バセドウ病と診断され今年で14年。コート上で光を浴びる裏側で、彼女が向き合ってきた不安や苛立ちとは。病を抱えながら、現役選手として闘い続けた真実を伺いました。
振り返ってみると、病気の兆しはあった

── 昨シーズン限りで現役を退かれ、現在はSVリーグ・クインシーズ刈谷のチームアドバイザーとして活動されています。選手時代との違いはありますか。
鍋谷さん:選手時代は自分自身にフォーカスしていましたし、自分のコンディションが第一で、余裕があれば周りのことも、という感じでした。ですがチームアドバイザーとなった今は選手の心理状況を考えたりプレーを見たり、物事を客観的に見る機会が多くなったので、現役のころとはガラッと変わりましたね。
── 鍋谷さんはご両親ともにバレーボール選手だったそうですね。バレーボール選手になることはご自身のなかでは自然な流れでしたか?
鍋谷さん:私は小学3年生からバレーボールを始めたんですが、気づいたときには体育館にいてボールを触っていたという感じでした。でも、もっと小さいころはモーニング娘。になるのが夢だったんです。ゴマキ(後藤真希)が大好きで、友だちとよく真似したりもしていましたね。
── 高校は強豪・東九州龍谷高(大分)でプレーされ、全国大会で優勝するなど輝かしい成績を残されています。
鍋谷さん:実は高校3年生のころにバレーを一度辞めようと思ったことがありました。キャプテンになって周りからの期待が大きなプレッシャーに変わって、その重圧に耐えられなくなってしまったんです。バレーを辞めて、地元(東京)に帰ることを考えたこともあったのですが、「ここで逃げてしまったらこれから先もずっと逃げることになるんだろうな」と思い、あともう少しだけ頑張ろうと、そのときは踏みとどまったんです。
── 高校卒業後、社会人になってすぐにバセドウ病に罹患していることが発覚しました。どのような経緯で病気がわかったのでしょうか。
鍋谷さん:振り返ってみると、高校時代に汗をかきやすかったとか、どれだけ食べても太らないという兆しはあったんです。でも当時はバレーボールに必死すぎて深刻にはとらえていませんでした。
病気がわかったのは高校を卒業してすぐのころでした。日本代表候補に選ばれてメディカルチェックを受ける機会があったんですが、血液検査の結果がよくなかったんです。「専門医を受診してください」という通知があったのですぐに病院を受診し、詳しい検査をしました。
病気がわかったのは社会人になったばかりのことだったのでショックでしたし、これからどうなるんだろうという不安な気持ちでしたね。いっぽうで、自分なりにいろいろと病気について調べて、「きっと大丈夫」「これからもっと活躍できるように頑張る」とポジティブに考えられていた部分もあったと思います。