バラエティー進出「まずは名前を知っていただく」

── その後、バラエティー番組にも進出され、人気に火がつきました。当時は、演歌歌手の方がバラエティー番組に出ること自体がまだ珍しい時代。周囲からずいぶん反対されたこともあったそうですね。

 

瀬川さん:レコード会社からは「イメージを壊さないでくれ」とかなり反対されました。当時、同じく演歌歌手の前川清さんが萩本欽一さんの番組でユニークなキャラクターを発揮していました。でも前川さんのように「歌うときはピシッと歌ってバラエティではおもしろい」という器用なことは、あなたには無理だから、と周りから言われて。

 

ただ、私は売れるまで17年かかったので「まずは名前を知っていただくことが大事。そうでないと生き残れない」と思い、マネージャーとも相談しました。半ば反対を押しきる形でバラエティーの挑戦を決めたんです。

 

私はおしゃべりが得意というわけではないので、司会の方が上手に扱ってくださるから成り立っているだけ。最初は「私が出ておもしろいのかな」と不思議でしたけれど、皆さんが喜んでくださるならやってみようと。

 

── 瀬川さんのモノマネをされる方も多いですよね。ご自身のモノマネをされることについてはどう感じていましたか。

 

瀬川さん:父が昔、こう言っていたんです。「将来デビューして、もし誰かが真似をしてくれるようになったら、それは一流になった証拠なんだよ」と。だから、87年に『命くれない』がヒットして、栗田貫一さんやコロッケさんらが私の真似をしてくださるようになったときはうれしかったんです。それ以来、ステージで「瀬川瑛子でございます」と挨拶するだけで笑いが起きたり、「テレビで見たモォ〜ッっていう牛のモノマネをしてほしい」とリクエストされたり(笑)。おかげでいろんな世代の方から声をかけていただけるようになって、すごくありがたいことだなと感謝しています。