「頭はクリアなのに、自分の手や足がどこにあるのかわからない。まるで頭しか残ってないような感覚だったんです」。天理大学アメフト部に入部し、初の公式戦を闘っている最中、脊髄を損傷し、首から下の動きと感覚を失った中村珍晴(たかはる)さん。「二度と歩くことはできない」と医師から宣告を受け、絶望の淵に立たされた状況を救ってくれたのは4歳上の兄の「仕事を辞めて理学療法士になる。少しでも力になりたい」という、予想もしなかった言葉でした。

足を前に出した瞬間、雷に打たれたような衝撃が

── 中村さんは19歳のとき、アメリカンフットボールの試合中、相手選手と衝突した事故がきっかけで車いすになったそうですね。事故当時はどのような状況だったのですか。

 

中村珍晴
アメフト部時代。左から3番目、上下白のユニフォーム姿が中村さん

中村さん:奈良県にある天理大学のアメフト部に入部し、9月に初の公式戦に出場したときのことです。前半戦を終えた段階でチームが負けていて、後半戦で何とか挽回しようと意気込んでいました。後半5分に相手選手が思いきり僕に向かって走ってきたので、しっかりブロックしようと足を前に出した次の瞬間に、身体に雷が落ちたような衝撃が走ったんです。周りの光景がスローモーションで流れながら仰向けに倒れ、夏のきれいな青空を見たのを今でも鮮明に覚えています。

 

プレーが続いていたので試合に戻ろうとしたところ、首から下がまったく動かないことに気づきました。実はそのとき、頸椎を骨折して、折れた骨が脊髄を傷つけてしまっていたんです。一瞬で感覚が失われてしまったためか、痛みはまったく感じませんでした。意識もはっきりあって頭はクリアな状態なのに、首から下の感覚がなくて、身体が地面に触れているのもわからず、自分の手や足が今どこにあるのかがわからない。もう頭しか残ってないような感覚だったんです。

 

── 試合中ということでドクターがかけ寄り、すぐに病院に搬送されて7時間に及ぶ手術を受けたそうですね。

 

中村さん:事故が起きたのは12時半くらいだったのですが、救急車で病院に搬送されて、手術室に入ったのは17時ぐらいでした。その日は日曜日で、病院の先生方はほとんど出払っている状態だったんです。でも、整形外科の脊髄損傷を専門にされている先生が、学会発表をする準備でたまたま病院にいたらしくて。首の骨を治す手術をすぐに受けることができました。先生がいらっしゃらなかったら、おそらく手術は翌日以降になっていたと思います。

 

さらに運がよかったのが、偶然にも両親が近くにいたこと。両親は実家のある山口県に住んでいたんですけど、その日は夫婦で試合のあった兵庫県にたまたま旅行に来ていて。当時、僕は未成年で、親の同意がないと基本的には手術が受けられなかったんです。すぐに病院に来てもらえたのも不幸中の幸いでした。

 

脊髄を損傷した場合、なるべく早く手術をしないと麻痺がどんどんひどくなっていくので、最速で手術を受けられたのは、かなり運がよかったと思います。