32歳から医学部受験を開始し、2人の子育てをしながら7浪で医学部に合格。在学中に第3子を出産し、留年や医師国家試験不合格を経て、53歳で念願の医師になった新開貴子さん(60歳)。「医師になって人の役に立つ」。その想いを貫いた半生は、こちらも勇気をもらえるものでした。
家庭崩壊を感じ、心理学を志すも受験は不合格

── 新開さんは32歳のときに医学部の受験勉強を始め、7浪したのちに医学部に合格。留年や医師国家試験不合格がありつつも、53歳で医師免許を取得されました。いっぽうで、受験勉強をしている間に34歳で結婚し、子どもが3人生まれ、子育てと受験勉強を両立されてきました。
60歳を迎えた現在は主に総合診療科で内科医として働いているそうですが、まず、医師を目指したきっかけや背景を教えてください。
新開さん:小学校に入学前、近所のおばあさんが夏祭りに連れて行ってくれたのですが、金魚すくいでとった金魚が地面に落ちてしまって。土の上で跳ねる金魚をどうすればいいのかわからず、その間に金魚は動かなくなってしまったんです。「私が金魚を死なせてしまった」と罪悪感でいっぱいで…。その金魚を救えなかったことが私の生き方を変えました。それからは捨て猫や捨て犬を見つけては家に連れて帰ったり、エサを持って行ったりと、命をどうにかいかしたいと思うようになりました。小学生のころには「医師になりたい」という夢を抱いていましたね。
ただ、学校は地元の島根大学教育学部附属小学校・中学校へ入学しましたが、成績はクラスで最下位。自分は勉強ができないと思って小学生のころは医師に憧れていたけど、医師の夢は諦めていました。
── また、子ども時代は複雑な家庭環境で過ごされたと聞いています。このことは後の進路に影響を与えましたか?
新開さん:そうですね。実家は母が財界人が訪れる高級クラブナイトクラブや薬局を経営していて、父もその手伝いをしていたので両親は不在なことが多く、その間、私は近所のおばあさんに預けられていました。あまり勉強をするような環境ではなかったです。
それに、両親はそれぞれ別のパートナーを作っていました。子どもながらに家庭の崩壊を感じて、ストレスで中学生のころには髪の毛まで抜くようになっていました。高校は偏差値の低い学校にかろうじて入学しました。
結局、私が高校2年生のときに両親は離婚。進路を考えたときに家庭環境ですごく悩んだことから、大学では心理学を学んでカウンセラーになろうと思い、同志社大学の心理学部を第一志望にしました。ただ、受験は惨敗。ほかにも心理系の学部を受験しましたが合格できず、合格した短期大学のなかから東京女学館短期大学英文科を選び、上京しました。