いわゆる健常者でいると、心身に障がいや病気を持つ人たちと完全に同じ思いを抱くことは難しい。「よかれ」と思って寄り添っても、立場が違うことで「そうじゃない」思いが交錯します。難病を患った坂井田さんは、病気が再発した際に言われた「頑張りすぎ」の声に、違和感を覚えたそうです。
難病でもステージに立ちたいとリハビリに励む
── ソプラノ歌手として活躍していた坂井田さんですが、2016年、国指定難病の視神経脊髄炎(NMOSD)により、下半身がまったく動かなくなったとのこと。「2度と歌えない」と医師から宣告されたにも関わらず、懸命なリハビリで舞台に復帰したそうですね。
坂井田さん:倒れてから約2か月間は寝たきりの状態で入院していました。医師からは「もう歌えない」と言われて…。でも、絶望するのではなく「いまの自分にできる最大限の努力をしよう」と思いました。体幹が失われ、体に力が入らず自分で体を起こすこともできなかったので、車いすに体を縛りつけて歌の練習に取り組みました。
リハビリ専門の病院に転院して5か月間リハビリに専念し、退院後に念願のコンサート復帰を果たしました。とはいえ、病気をしてからはすっかり体が変わってしまって。
── どのように変わってしまったのでしょうか?
坂井田さん:視神経脊髄炎は、自己免疫が視神経や脊髄を誤って攻撃してしまう難病です。症状は人それぞれ異なり、体に痛みがある人もいれば、視野が狭くなる人もいます。私の場合、つねに熱した剣山をガリガリ体に押し当てられているかのような激痛が続いています。着替えるときに、洋服が肌に触れるのも痛いです。体力も落ちて、感覚としては元気な人の4分の1程度でしかありません。
コンサートに復帰して歌ったときは、舞台袖ではいすに座り、少しでも体力を温存するようにしています。でも、しばらくは周囲に、「いすを用意してほしい」のひと言が伝えられず、舞台袖でも立ちっぱなしでがまんしていました。

── なぜ周囲に言えなかったのでしょうか?
坂井田さん:「迷惑をかけてはいけない」と思っていたからです。コンサートを開催するためには、音響さんや照明さんなどたくさんの制作スタッフが動いています。舞台袖は狭いから、いすを用意すると場所がとられ、邪魔になってしまうかもしれないと考えていたんです。
でも、「ムリをして舞台を立つと、ベストパフォーマンスを披露できない」とだんだんと思うように。歌手はお客さまに最高の歌を届けるのが使命です。我慢していると、きちんと自分の仕事をまっとうできないと考えるようになりました。そこでスタッフに相談したところ、「まったく問題ありません」と快諾してもらって。そのときに、ひとりで全部を背負おうとするのではなく、周囲に相談していいんだなと感じました。