運命を受け入れながらも起こした「奇跡」

──「2度と歌えないかもしれない」と言われているにも関わらず、歌の練習をしたのはなぜでしょうか?

 

坂井田さん:歌わずにはいられなかったので、歌の練習を開始しました。1度決めたことには全力で向き合いたくて。必死で頑張った結果、寝たきりだった2か月間に開催されたコンサートに出演することができました。その後はリハビリ病棟に転院し、5か月間、入院しました。リハビリが始まるとき「ヒールのあるブーツをはいて自分の足で歩いて退院したい」という目標を立てたんです。最初は体の感覚がないなか、支えてもらいながら立つ練習をしました。足裏で体重を支える感覚もわからなくて、「立つってこんなに難しいんだ」と驚きました。

 

患者さんの前で歌うこともありました。私が入院していたリハビリ病棟は、レクリエーションの時間というのがあって。月に1回くらいは歌を披露していました。患者さんは年配の方が多く『荒城の月』などをリクエストされることも多かったです。でも、やっぱり納得できる歌声ではなくて…。自室に戻ってから「こんな声じゃないはずなのに…」と、泣いてしまうときもありました。それでも、少しでも納得できるよう、歌の練習は続けました。

 

5か月後、退院の際はヒールのブーツははけませんでしたが、自分の足で立つことができました。杖はついていたものの、とてもうれしかったです。退院して2か月後に、山口県の音楽祭に出演したときに、ようやく自分の足で立って歌えました。

薬で歌のメロディを忘れるも「これが私の人生」

── 念願の舞台に復帰できて感無量だったのでは。

 

坂井田さん:でも、「まだまだだな」という思いはありました。歌手にとって、「身体は楽器」なんです。病気をしたことで、私の体はこれまでとはまったく異なる楽器になりました。こうしてお話をしているいまも、胸には熱した剣山をガリガリ体に押し当てられているかのような激痛があります。声の出し方も、以前とはまったく変わりました。

 

── 坂井田さんは笑顔が印象的で、とても痛みがあるようには見えません。痛み止めの薬などはないでしょうか?

 

坂井田さん:痛み止めを飲んでも、それほど変わりません。薬を飲む前の痛みのレベルが10だったとして、2程度は軽減されて7~8レベルの痛みになる程度です。何回か薬を変えてみたものの、合うものが見つかりませんでした。強い薬のため、副作用として物忘れが激しくなったり、まったく動けなくなったりする場合もしばしば。ある薬を飲んだときは、コンサート中に『アメージンググレイス』のメロディを忘れてしまって。これまで何万回も歌ってきた曲なのに「どうして!?」と焦りました。

 

歌い手として、今よりもっと素晴らしい歌を歌う探求は、人生が終わるまで続きます。もしかしたら、私の歌が誰かの希望になってくれるかもしれません。みずからの運命を受け入れたうえで、目の前のことに全力で向き合っていくのが、私の人生なんだと思います。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/坂井田真実子