焼肉屋事業から泥棒に放火、1億円の借金

── 大阪に戻られ、次に始めた「焼肉屋」も大繁盛しました。

 

マダム信子さん:友達がログハウスの焼肉屋を建てたものの資金不足に陥り、「お店をやってくれないか」と頼まれて。最寄り駅から車で20分、ホタルが出るような田舎でしたが、人助けだと思って引き受けました。リーズナブルな価格で食べ放題を取り入れたら、これが当たって、店も6店舗まで拡大。「この勢いでどんどんチェーン展開しよう」と思っていた矢先、狂牛病(BSE)が発生し、そのあおりをまともに食らってしまったのです。

 

客足はパタリと止まり、私たちの店も開店休業状態に。一部業態を変えてあがいてみたものの、どうにもなりません。 従業員には辞めてもらい、広い店内を夫婦2人だけで延々と掃除する日々。毎日、胃の痛い思いが続きましたが災難はそれだけではなかったんです。

 

── いったい何があったのでしょう?

 

マダム信子さん:2006年に店に泥棒が入り、さらに店を放火されて。私に残ったのは「1億円の借金」でした…。銀座でオーナーママとして華やかに過ごしていた自分が、今は家賃も払えず、頭を下げる日々。「都落ちした」と陰口を叩く人もいて、プライドはズタズタになりました。それまでもいろんな苦悩を乗り越えてきましたが、あのときだけは「もう無理かもしれない」と思うほど、人生どん底でした。

 

八方ふさがりで、恥を忍んで実家へ頼みに行ったら母にお金を投げつけられ、「情けない!」と怒鳴られて…。「あれだけ親孝行してもこんなもんか」としょんぼりしながら車を出しました。でも、バックミラー越しに年老いた2人が心配そうに見送っているのが見えて、「自分はなんと親不孝なんだろう」と涙が止まらなかった。ひとしきり泣いた後、「生まれ変わるんだ」と自分に誓ったんです。