2009年ころから大ヒットした子ども向けテレビ番組に、『ピラメキーノ』がありました。MCに抜擢されたのは、フルーツポンチとはんにゃの若手お笑いコンビの2組。収入もウナギ登りで人気者に。当時、フルーツポンチの亘さんはどう思っていたのでしょうか。

友だちの誘いで自衛官を辞めちゃって吉本へ

── 2009年から2015年まで放送されていた子ども向けバラエティ番組『ピラメキーノ』(テレビ東京系列)で、ブレイクを果たしたお笑いコンビ・フルーツポンチ。結成して4年でお茶の間の人気者になった亘さんですが、そもそもなぜ芸人の道を選んだのですか?

 

亘さん:芸人に対する憧れはそれほど強くなかったんですよ。子どものころ、テレビのバラエティ番組はめちゃくちゃ見てましたし、友だち同士で悪ふざけして人を笑わせるのは好きでしたけど、芸人って、アイドルみたいにスカウトされてなるものだと思っていて(笑)。

 

雲の上の世界といいますか、現実とはほど遠いと思っていました。僕はNSC(吉本総合芸能学院)出身ですけど、それもみずから志願したわけではなく、小学校時代からの友だちに「お笑いやろうと思ってるんだけど、一緒にやってみないか?」って誘われて。そのとき自分は自衛隊に所属していたんですが、「このまま自衛隊を続けていくのかな?」と自問自答して、自分の将来に心が揺れていた時期でもあって。せっかく誘われたしやってみようかなと。そのくらいの感覚でした。

 

その友だちは結局、就職が決まって会社員の道を選択したんですけど、僕は「芸人やろう」って勝手に火がついてしまっていたので、ひとまず1人でNSCに飛び込んでいったんです。

 

亘健太郎
予備自衛官として10年勤続した際に表彰状を授与されて

── きっかけは同級生だったものの、1人でNSCへ。そこからフルーツポンチを結成して芸人デビューすることになるのですが、すぐにブレイクしたイメージがあります。

 

亘さん:最初は『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系列)に出演していて、そこで知名度が上がっていった感じです。でもそこからはうなぎ上りで。『ピラメキーノ』のMCの話が舞い込んできたときは、率直に幸せでしたね。想像がつかなかった世界に足を踏み入れた感覚で、ファンの方から「キャー!キャー!」言われたり、テレビで見ていたダウンタウンさんやウッチャンナンチャンさんといった憧れの方と共演したり。それはもう超絶うれしかったですけど、反面、自分の力量のなさも実感していたので、不安や緊張を抱きながら番組出演していました。

 

どんどん舞い込んでくる仕事を必死にこなしてはいたんですけど、やはり浮かれていた部分はあったと思います。いま考えると、もう少し当時の売れていた状況に対して感謝の気持ちを持つべきでした。若さもあったと思うんですけど、その意識が希薄だったなと思いますね。