「夫は最悪の状況も覚悟していたと思う」

── 医師とはどんな話をされたのですか。
佐野さん:非常に難しいがんであるとわかった際に、ほぼ手遅れの状況だったうえ、入院後に心筋梗塞を起こすなどの急変が見られたため、医師は積極的な治療(抗がん剤治療)をしない選択もあるとおっしゃいました。しかし、親方自身はようやく病名がわかり、これからやっと治療に向かえると。頑張ろうと前向きな気持ちでいました。それなのに「もう治療法がないから緩和ケアを」というようなことは絶対に言わないで欲しい、ということを私はお願いしたんです。
この治療方針についてはかなり何度も話し合いをしたのですが、親方に隠して医師と何度も話し合いをしなければならないこの段階が、私のなかではとてもつらくしんどいものでした。
結果、「病名は告げたうえで、治らないことや緩和ケアという言葉、余命宣告は本人には絶対しない。治療を頑張ろう」というスタンスで接して欲しいということになりました。この方針は、在宅医療に移る際にもかなり時間をかけて担当医と話し合いました。
親方は何でも自分の努力で道を切り開いてきた人で「俺はできる」という強い気持ちを持っていました。医師は抗がん剤治療することでかえって寿命を縮めるかもしれないと消極的でしたが、私は親方ならわずかな希望でも治療するに違いないと思っていたので、私が責任を持つので絶対に治療してくださいとお願いしたんです。
── 在宅医療を選択されたのはどういった理由からですか。
佐野さん:自宅で治療ができるのであればみんなで過ごすことができます。当時は1歳になるかならないかの娘を連れて毎日、病院に行くことが相当、負担でしたし、その間部屋を空けているという状況を親方自身がすごく気にしていて。病院からも「治療が始まったら入院し続ける必要はないよ」と言っていただいたので、自宅での治療に切り替えました。
弟子たちも親方の車の乗り降りをさせてくれるなど協力的だったので本当に助かりました。親方も調子がいいときは稽古場に降りて弟子たちの稽古を見ていましたし、娘と一緒に遊んだり。親方にとってもいいモチベーションになっていたと思います。娘が歩き始めたら一緒に外に散歩に行きたいと話していてそれが叶わなかったことは残念ですが、とても濃密な1年を過ごせたと思っています。
── 夫婦生活の最後は病気との戦いでしたが親方はどんな存在だったのでしょうか。
佐野さん:本当に感謝しかないですね。親方に対してやれることがもっといろいろあったんじゃないかと考えることもありますし、親方にもらったものはたくさんあるけれど、私は何も返せていないんじゃないかと後悔の念もすごくあって。だからこそ、親方がのこしてくれた娘を育てることで親方に恩返ししたいという気持ちです。本当に親方は私にはもったいないぐらい素敵な人でした。今でもその気持ちは変わらないですし、親方以上の人とはめぐり逢えないんじゃないかと思っています。