今月は防災月間です。防災士として講演会などで災害への備えの大切さを伝える活動を行っている砂場研究家のどろだんご先生は、「子ども自身が危険に気づけるような経験を積んでほしい」と語ります。危険なものは排除するという最近の傾向から、実は大人が知らず知らずのうちに子どもの体験の機会を奪っているそうです。(全2回中の2回)

本当に危険なことに子どもが気づけない環境

── 砂場研究家として、どろだんご先生は全国の公園の砂場づくりの監修をしているそうですね。子どもたちの意見を反映させるため「SUNABANASHI(すなばなし)」という、子どもたちが公園づくりに参加する会議を開いているとうかがいました。

 

どろだんご先生:公園をとりまく社会問題を解決したいと、年に1度、子どもたちと公園作りのアイデアを出し合う会議を開いています。

 

どろだんご先生
全国の砂場や園庭作りに携わるどろだんご先生(写真中央)

今年は静岡で、去年は福岡で開催しました。子どもに話を聞いてみると、「大人は、ゲームばっかりしないで外で遊びなさいというけど、公園では野球も自転車も禁止で、大きな声も出しちゃいけないから、ゲームするしかない」っていうんです。「そりゃそうだよな」と思いました。子どもたちはゲームばかりしていると大人から批判されることが多いのですが、果たしてそれは子どもだけの責任でしょうか。大人が公園での禁止事項を増やして子どもから遊びを奪っているのに、これでゲームをするなというのは酷ですね。

 

── 公園に禁止事項の張り紙がある光景をよく目にします。

 

どろだんご先生:今の日本の子どもたちは、何か問題が起きたらそれをすぐに取り除かれてしまう環境にあります。事故が起きればその遊具が撤去され、使用禁止の紙が貼られていますし、遊具の使い方に関しても細かく決められています。ところが、リスクを先回りして大人が危険を排除しすぎてしまうと、本当に危険なことに子ども自身が気づけなくなってしまうと思うんです。

 

全国的にゴムチップが敷かれたグラウンドや公園が整備されていますが、そのメリットは水はけのよさや転んだときにケガをしにくいことだと言われています。利点はわかりますが、私自身は転んでケガをすることが悪いことではないと思っています。もちろん大きな事故につながる危険は取り除く必要はありますが、ちょっと擦りむく程度の経験はすべきではないでしょうか。ここで走ったらこんなふうに転ぶし、この段差から飛んだらこのくらい痛いということを体感していれば、高所からの転落など、大きな事故を防ぐことにも繋がります。遊びを通じて子ども自身が自分の身を守る経験に繋げてほしいです。

 

── 新しくできた公園は、私が子どものころとはまったく違った遊具が置かれていて、時代の流れを感じます。

 

どろだんご先生:お父さんやお母さんの時代の公園の遊具を調べてきたといって画像を見せてくれた子がいました。真ん中に支柱があって、体で体重をかけて手で支えるシーソーブランコの画像だったのですが、その子は「これで遊んでみたい」と言うんです。理由を聞くと「今の公園の遊具は、幼稚園くらいの子まではいいけど、小学生にはつまらなすぎる」と。遊具をさまざまな理由で取り除いて行った結果、公園がつまらないものになってしまっているのだと感じました。

 

老朽化が進んでいるものや安全不備で問題がある遊具はもちろん取り除くべきですが、使い方が悪いだけで遊具そのものが悪いわけではない場合もあると思います。今は、子どもたちに遊ぶ方法を提示しすぎだと思っています。ブランコの鎖をうんと短く巻いたり、ぐるぐる回したりして乗っていた経験、ありませんか。

 

── ありましたね。今思えばいい乗り方だとは言えませんが、どのくらい巻いたらどう勢いがつくのか、加減を自分で調整していたように思います。

 

どろだんご先生:今はブランコで立ちこぎすることも禁止されていて、ブランコはあくまで座って乗るしかありません。遊びの汎用性がどんどん奪われています。子どもの声が騒音だと言われ、公園が廃止になるのはもってのほかです。本当に危ない場面を子どもたち同士で注意するとか、見守る地域の目があれば、本来遊具はいろんな使い方をしていいものだと思います。それに、いろんな遊び方ができる遊具のほうが、子どもたちの興味を湧き立てます。禁止事項ばかりのこの時代では、砂場の価値がより高くなっていることを感じます。子どもの想像力というフィルターを通して、キッチンになったり、お店や土俵になったり、山や川にもなる砂場は魅力的な遊具だと思っています。