フリーアナウンサーの住吉美紀さんは42歳から4年間、本格的な不妊治療に挑みました。このほど上梓したエッセイ『50歳の棚卸し』(講談社)では、仕事との両立に悩みつつ、治療に全力をささげた日々について初めて詳細に明かしています。当時の心境を伺いました。(全3回中の2回)
「結婚も子どもも、もういいかな」と思っていたけど
── 42歳で現在の旦那さんと結婚し、すぐに不妊治療をスタートしたと本にありました。いつごろから子どもがほしいと思うようになったのでしょうか。

住吉さん:子どものころは「女の人は、大きくなったら当然結婚して、子どもができるんだよね」くらいに思っていて。昭和生まれの私にとって、そういうふうに思わせる社会だった、というのもあると思います。ただ、そういう社会が徐々に変わり、女性が働くことが当たり前になりました。私も20代で働き始めて仕事にやりがいは感じていたものの、集中しないと仕事が回らなかったり、やりたいと思った仕事ができなかったりで。そんなこんなで仕事に没頭しているなかで、家族を持ちたいとなかなか思えなかったんです。
一時は「結婚も子どもも、もういいかな」と思っていたんですが、37歳でフリーランスになり、これからずっとひとりなんだと気づいたときに、「やっぱり家族がほしいな」と思うようになりました。そのときにはすでにアラフォーだったので、結婚してすぐに子どもも…という気持ちで相手を探していました。
── 不妊治療を受けていた当時、体外受精のための採卵手術など、肉体的な痛みもあったものの、それ以上に精神的な痛みが大きかったそうですね。
住吉さん:もちろん不妊治療は人それぞれなので、すんなり妊娠までいく方もいるし、悩みや痛みは人それぞれだと思います。旦那さんの理解がイマイチ…という方もいると聞きますし。
私の場合は、仕事と治療をどう両立するかのジレンマがいちばんつらかったんです。だからこそ、治療について人に話せない苦しさがありました。それに、治療が難航するにつれて、「生き物として出産はもう手遅れなんだ」「私は女性としてダメな存在なんだ」という絶望感があって。同時に、40代の元気に動けてすごく楽しいはずの時期に、ずっとドヨンとしている自分にもまたガッカリして…すごくきつかったですね。
── 普段から鍼治療やカウンセリングを受けたりと、日常生活自体が不妊治療を意識したものに変わっていたそうですね。やりたいことが思うようにできないストレスがあったのでは。
住吉さん:そのときばかりは、あまりにも気持ちが沈んでいて、何か別のことをやりたいという気持ちにもなりにくい状態でした。時間も体力も金銭面も、すべて不妊治療に集中させているような生活でしたね。そうじゃないと続けられなかったんです。