介護はどれだけやっても後悔する「沼」
── お母さんがお亡くなりになって、10年近くが経ちます。
藤さん:そんなに経つなんて信じらせません。母が倒れる前は、介護なんてまったく考えたこともありませんでした。いまは高齢社会になって、みなさんもやはり親や自分が遠くない将来、要介護状態になる覚悟を持つじゃないですか。でも、あのころは介護自体が一般的ではなくて、しかも私の母の場合はある日突然倒れましたから。ただ、介護は誰にだって起こること。私だってある日突然、倒れるかもしれないし、何が起こるかわかりません。
自宅介護を決意し、日々の食事から介護のしかたまで、私が一つひとつ選択してきました。「ああしなきゃよかった」「こうすればよかった」と、悔やまれることはもういっぱいあります。もっと違う選択をしていたら、母はもっと生き延びていたかもしれないし、ほかの方法があったかもしれません。その思いがずっとあって、いつまでたっても後悔しています。たぶん介護はやってもやっても、後悔はしていたでしょう。もう沼のような感じです。
でも、母も頑張りました。倒れてから11年間生きてくれて、母は92歳で亡くなりました。いま思えば、それだけでもありがたいと思わなくてはいけないのだと思います。無我夢中で介護をしてきました。ずいぶん時間は経ったけど、あのときの思いはずっと変わらず、私の中にあり続けています。
取材・文/小野寺悦子 写真提供/藤真利子