俳優の藤真利子さんは、11年間に及ぶ自宅介護の末、92歳になった母を看取りました。その間、毎日つけた介護日誌は66冊に。日々の生活をつぶさに見てきた証ですが、別れは突然、言葉もなくやってきたそうです。(全3回中の3回)

興味本位で応募するヘルパーもいた

── お母様の介護経験を持つ女優の藤真利子さん。藤さんが50歳のとき、お母様が脳梗塞で倒れ、11年間にわたり自宅介護をされてきました。

 

藤さん:私が主に介護をしつつ、ヘルパーさんの力も借りています。ヘルパーさんは基本11時から19時までで、私の仕事があるときは早く来てもらい、延長や泊まってもらうこともありました。ヘルパーさんがいなければ、やっていけなかったと思います。ただ、ヘルパーさんは人によって、もう天と地の差がありました。

 

技術の差もあるけれど、何よりいちばん大きいのは、性格的な部分だと思います。文句ばかり言うような方もいましたね。あと「藤真利子」という女優の家ということで、興味を持つ方も少なくありませんでした。当時は個人情報の意識が薄く、私の母の介護だということは募集の時点でわかっていたようです。みなさん女優は白亜の豪邸に住んでいると思うのか、それを見てみたいという好奇心から引き受ける人がけっこういて。

 

でも、心からやってくれる方は全然、違いますから、高みの見物で来ているなという方はこちらもわかります。そういう方には1回で辞めていただきました。ただ、その高みの見物で来る方がたくさんいました。もう何十人です。

 

藤真利子
献身的な介護の甲斐あり車いすで出歩けるように

もちろん素晴らしいヘルパーさんもいました。わが家のスーパーヘルパーさんは、もともと安藤和津さんのお母さんの介護をされていた方。私が母を自宅介護にすると決めたとき、和津さんのお母さんが亡くなられた直後で、ヘルパーさんを譲り受けた形です。その方は介護に関する知識がいろいろあって、本当に助けになりました。

毎日欠かさずつけた介護日誌は66冊にも及んだ

── 介護中は日誌をつけていたそうですね。

 

藤さん:介護を始めた日からスタートして、母が亡くなるまで11年間欠かさず毎日つけてきました。数えてみたら、なんと66冊に。自分でも驚きです。最初はざっくりとした内容から始まって、次第に詳細につけていくようになりました。ノートには体温、血圧、脈、尿や便の量に加え、3食のメニュー、飲み物の種類と量も記載しています。

 

いま改めて見ると、本当に必死だったなって感じます。食事をしっかり食べてくれた日は花丸をつけるなど、その日の状態も記しました。お医者さまが2週間に1回訪問診療してくださっていたけれど、これを見れば日々の健康状態もわかります。

 

食事はふつうに食べられたので、それも自宅介護ができた大きな理由でした。日誌を見ると、ハンバーグを食べたり、角煮を食べたりと、いろいろ食べていましたね。ただ途中から糖尿病のため糖分や塩分を控えなければいけなくなり、その計算がまたひと苦労でした。でも、母はおいしくないと食べてくれません。糖類ゼロの甘味料を使って甘みを出すなど工夫して、ずっと食事はとれていました。だから最期があんなに急に訪れるとは思いもしませんでした。