「病院から出してあげたい」娘から懇願され
── その後、元奥さんを病院から自宅に迎え入れるという決断をされています。別れた相手のめんどうを見るというのは、相当な覚悟が必要だったのではないかと思います。なぜそうした思いに至ったのでしょう?
宮川さん:娘たちの気持ちが強かったんです。私自身は、設備の整った病院にいるのが最善ではないかと考えていましたが、日に日に弱っていく母親を目の当たりにするうち、「このまま病院にいるのが本当に幸せなのか」と、葛藤を抱くようになったようです。意識が朦朧とするなかで、本人が「病院はイヤ…」と繰り返し漏らしていたこともあって、「ママをここから出してあげたい」「最期を一緒に過ごしたい」と懇願されました。僕自身もその気持ちはよく理解できました。
そこから、娘たちと何度も話し合いを重ねました。当初は転院も検討し、結婚して家を出ている次女の家の近くにある大きな病院への移送も考えましたが、元妻の容態を考えると、長時間の移動は大きな負担になりますし、受け入れ先の状況も簡単ではありません。次女の家は手狭で現実的ではなく、結局、残された選択肢は、僕の家しかなかったんです。これほどまでに家族が真剣に向き合い、ひとつのことに対して言葉を尽くしたことは、後にも先にもあのときだけだったと思います。

── とはいえ、子どもにとってはかけがえのない親でも、離婚をした夫婦の関係はもっと複雑ですよね。割りきれない感情もあったと思います。迷いや葛藤も大きかったのではないですか?
宮川さん:正直、僕のなかでも非常に逡巡(しゅんじゅん)がありました。「いやいや、ムリだろう…。だって別れた嫁さんだよ?」と。しかも、うちは実母も一緒に住んでいますから、その気持ちを考えると「どうなのだろう」という迷いもあって。最初は、娘たちとかなり揉めましたね。最終的に背中を押したのは、「自分がめんどうを見る。パパはときどき手伝ってくれればいい」という長女の言葉でした。
自宅に迎え入れるにあたって、僕自身にも相当な覚悟が必要でした。本人の容態を考えると、そう長くはないのだろうなとわかっていましたし、最期を看取ることになるだろうと。ただ、「孫を見たい」と話していた妻の眼差しから奇跡を信じたい気持ちもあったんです。
次女の出産予定日まで5か月。もしかしたら…という思いがよぎり、「長期でめんどうを見ることになるかもしれない。その間は、完全に彼女中心の生活になるから仕事の調整も必要だな」と、あらゆることを考えたうえでの決断でした。簡易ベッドや酸素吸入機、車椅子などのリースは、長女がすべて手配してくれました。