重度のがんにかかった元妻を、自宅に迎え入れて最期を看取った宮川一朗太さん。自分でも、想像もつかなかった選択をしたといいます。しかし、家族みなで看取ったことに対して、後悔はありませんでした。(全3回中の2回)
別れた元妻が乳がん再発「病床に向かうと…」
── 20年前に離婚をし、男手ひとつで2人の娘さんを育ててきた俳優の宮川一朗太さん。2023年3月、がんを患っていた元奥さんを自宅で引き取り、お子さんとともに看取ったことをメディアで明かし、大きな反響を呼びました。そうした声を、宮川さんご自身は、どのように受け止められたのでしょうか。
宮川さん:正直、想像以上の反響に驚きました。2年も前のことですし、亡くなった方のことを話すのはどうなんだろう、お叱りを受けるのではないかと、覚悟していたんです。美談にするつもりはまったくなく、ただ事実を淡々と話しただけでしたが、皆さんが好意的に受け止めてくださり、温かい声をたくさんかけてくださって。本当にありがたかったですね。
── ご病気がわかってから、どのように接してこられたのでしょうか?
宮川さん:離婚後、元妻は南のほうに移住していましたが、たまに連絡を取りあっていて、子どもの誕生日には家族で過ごすこともありました。彼女が乳がんを患っていることを知ったのは7、8年前のことです。一度は手術で摘出しましたが、2021年ころに再発し、最終的にはステージ4と診断されました。
専門的な治療を受けるために東京の病院に入院したのが、亡くなる前年の秋ごろ。年末ごろには脳への転移が見られ、「そんなに長くないかもしれない」と娘たちも聞かされていたようです。僕は何度か見舞いに行きましたが、弱っていく姿を見るのは、やはりすごくつらいものがありました。ただ、本人に悟られないように、なるべく明るく接するようにしていましたね。

── 病床では、どんな言葉を交わされたのでしょう。
宮川さん:年が明けて1月くらいまでは、まだ元気で、「久しぶりだね」「大丈夫か」と、ふつうに会話ができていました。でも、あるとき「私はダメかもしれないから、子どもたちをよろしくね」と、ふと弱音を漏らしたんです。
思わず「何言ってるんだよ。あなたは病気のほうが逃げ出すくらいの人なんだから。孫の顔を見るんだろう?」と言って励ましました。ちょうどその年の夏ころ、次女が出産予定だったんです。彼女も「孫の顔を見るまでは頑張らないと」と言ってくれて。それが、彼女の声を聞いた最後の会話になりました。その後は、次第に耳が聞こえなくなり、会話が筆談に。話すこと自体もかなり体力を使うので、なるべく負担をかけないようにしていましたね。