今年からは日本代表のコーチに就任し

── 病気とうまくつき合いながら、現在もさまざまな活動をされています。2023年には広島ガスのエグゼクティブアドバイザーに就任されました。
藤井さん:実は指導をすることにはもともと興味を持っていなかったのですが、病気を患ってからは、求められたものに応えていくという思いがベースにはあったのでお受けしたんです。もし病気でなければ、きっと受けていなかったと思いますね。
── 選手への指導を通して感じることも多いのではないでしょうか。
藤井さん:私が選手時代に経験したことを選手たちに伝えていますが、その過程で彼女たちが成長してくれているのを今は感じますね。実はそれが私の競技人生の答え合わせでもあり、私自身を肯定する場所にもなっているので本当にありがたくて。それに自分が積み重ねてきたことが間違いではなかったんだとあらためて感じさせてもらえています。すごくいい環境に置かせていただいて本当にありがたいです。
── 今年からバドミントン日本代表女子ダブルスのコーチにも就任されました。
藤井さん:広島ガスのエグゼグティブアドバイザーになってまだ1年経ったところだったので本当に驚きましたが、評価をしていただいたことはシンプルにうれしかったです。代表の選手たちのレベルも高いですし、私からの視点でのアドバイスや考えることは伝えたいと思っています。ただ、いくつか選択肢を与えてそれを実際に選択するのは選手だと思っています。常に選手に寄り添って、選手の悩みを一緒に解決できたらいいし、それが私に与えられた役割だと考えています。
難病の宣告もネガティブにとらえずにいられたのは

── 現役時代はオリンピックを経験し、引退後は解説や普及活動など活躍の幅を広げました。さらに現在は病とも向き合っています。これらの経験を通して藤井さんが学んだこと、得たものとはどんなことでしょうか。
藤井さん:私が病気をネガティブにとらえなかったのは選手時代から物事のとらえ方がプラス思考で、過去を振り返らないタイプだったからこそ。病気になったときも頭の片隅にはもちろんあったけれど、後悔や悩んでも何も変わらないと思っていたので前向きにとらえました。それは病気だけではなく、何かに悩んでいるときも同じことが言えると思うんです。そのとき、自分がフォーカスできることに力を注ぎ、意識を向けることが大切だと感じていますね。
── 藤井さんがそういう思考でいられるのは、性格的な部分が大きいのでしょうか。それともバドミントンでの経験を通じて得られたのでしょうか。
藤井さん:私は5歳でバドミントンを始めてからずっと勝負の世界で生きてきました。小学2年生のときに同じ地域に強いライバルがいて2年間ずっと勝てなくて、そのライバルに勝って熊本で1位になったら、次は九州大会で3年ずっと勝てない人に出会ったんです。勝ちと負けを繰り返してきたなかで、「逃げ」というわけではありませんが、前向きにとらえないと心が保てませんでした。そういった経験の積み重ねで、気づかないうちにそう考えるよう癖づけられていたんだと思います。
あとポジティブだとよく言われますが、それは最大のリスクがあったとして、それよりも少し手前であれば、すべて「ラッキー」と思える性格が大きいのかもしれません。たとえば、解説で原稿を読み飛ばしてしまっても「次、挽回できるでしょ」と思えたり。ポジティブすぎて鬱陶しいと思われがちですが(笑)、そのほうが人生楽しく生きられるのかなと。とらえ方次第で意外と何とかなるものなのかなと考えているんです。
── そうとらえられるのは、先ほどお話しされていた最大のリスクを頭の片隅に置いているからこそなのかもしれませんね。
藤井さん:オリンピックを目指していたときも、もちろん本気で目指すけれど、出場できなかったときのことを考えて、どうすれば自分の価値を上げられるか、バドミントン選手としての価値を感じられなくなったときのためにどうすべきかなどは早い段階から考えていました。社会人1年目の19歳のときです。
まったく勝てずにスランプに入ったときも、「これで給料いただいているのに」と悩んだことがありました。スポーツでお金をいただくという責任感から、それが果たせなくなったときにどうすべきかをいつも考えていましたし、もちろんバドミントンに必死に取り組んでいましたけど、人生のすべてがバドミントンだと思いすぎず生きられる部分もあって。病気になって深く悩み、落ち込まなかったのもやはり、バドミントンを通して得た経験や学びのおかげなのかなと感じています。
取材・文/石井宏美