2012年のロンドン五輪で日本のバドミントン界に初のメダルをもたらした「フジカキペア」の藤井瑞希さん。指定難病「再生不良性貧血」を抱えながらも解説や普及活動だけでなくアドバイザーやコーチなど幅広い活躍を見せています。そこには現役時代から培ってきた心を保つ秘訣がありました。(全2回中の2回)
現役時代はつねに未来から逆算していたけど

── バドミントンの2012年ロンドン五輪女子ダブルスで銀メダルを獲得した藤井瑞希さん。2019年2月に現役を引退後、2022年に指定難病の「再生不良性貧血」と診断されました。この病気は血液中の白血球、赤血球、血小板のすべてが減少するため出血や感染症予防が必須で、自宅での療養を余儀なくされました。1人で自宅療養していると、考える時間がどうしても多くなってネガティブになりそうですが、藤井さんはご自身とどのように向き合っていたんですか。
藤井さん:病気をする前も自分の人生や人に不満を感じることはありませんでした。自分が解説やイベントの仕事をすることが誰かのためになっていると感じることがこの病気だと診断される以前よりも多くなって、今ではそれが何物にもかえがたい幸せだなと感じるようになりました。今はそれでみんながハッピーになることが私の生きがいになっていますね。
仕事に対しても自分がこの仕事をやりたいからやるというよりも、求められるからやるというスタンスに変わりつつあって、私を求めてくれる方々の思いに応えることに大きなやりがいを感じています。さまざまな現場で「元気になってよかったね」とか「また解説してくれてありがとう」「イベントに来てくれてありがとう」という言葉をいただくたびに心が温まりますし、本当に元気になって帰ってこられてよかったなとしみじみ感じています。
── 病気を経験したことで藤井さんのなかで変化したことは何かありますか。もし意識的に変えたことがあれば教えてください。
藤井さん:アスリート時代は、たとえば4年後にオリンピックという大きな目標に向けて今、何をすべきで半年後にはこれをして1年後にはこれをして…といったように、すべて逆算して物事を考えていました。でもこの病気を患ってからはその瞬間を一生懸命に生きるからこそ、先の目標はなかなか見えない部分があって。今は毎日をひとつずつ積み重ねていくという感じです。人間っていつどうなるかわからない部分がありますよね。たとえば、私は毎日当たり前のように生きているけど、人間の命は明日までかもしれないし1年後かもしれないし、10年後かもしれない。だから、そのときどきで感じたものを表現していきたいと考えているんです。
── 一概に比較することはできないかもしれませんが、ロンドン五輪で銀メダルを獲得された後、藤井さんは右膝の前十字じん帯断裂の大怪我を経験されました。そのときと今回とでは思考の切り替えやマインドに違いはありますか。
藤井さん:右膝を怪我したときはオリンピックで銀メダルを獲得して周囲からつねに注目され、期待され続けていて正直、疲れていました。怪我をしたのはちょうどそのころだったんですが、だから怪我をして「もうやらなくていいんだ」とどこかホッとした部分もあって。怪我は必ず治るものだから復帰できなかったらどうしようという不安もありませんでしたし、前向きにリハビリにも取り組んでいました。
でも今回は前向きではありながらも、頭の片隅には自分は長くは生きられないかもしれないという意識もどこかありましたね。