家庭の事情で生まれたときから祖母とふたり暮らしだった松村雄基さん。しつけやマナーに厳しかった祖母から愛情を注がれながら育ったことで寂しさは感じなかったそうですが、心のなかで孤独とつねに向き合ってきたと言います。(全3回中の1回)
文京区の風呂なし2Kの都営アパートで

── 『不良少女と呼ばれて』『スクール☆ウォーズ』など、大映ドラマの黄金期に強烈な印象を残した俳優の松村雄基さん。幼いころから親代わりのおばあさまとふたりきりで暮らしてこられたそうですね。
松村さん:家庭の事情で、生まれたときから父方の祖母に育てられました。大正2年生まれで士族の出の祖母は凛としていて、礼儀作法やしつけに厳しい人でした。食事の時間は正座、祖母が箸をつけるまでは食べられず、食事中の会話やテレビは禁止。字にも厳しくて、年賀状は何度も書き直しをさせられて。まるで修行のようでした(笑)。きっと親がいないことで道を踏みはずしたり、後ろ指を指されるようなことがないように、普通の家庭よりも厳しく真っすぐに育てなければ、という思いがあったのかもしれません。
── その厳しさに反発したり、距離をとりたくなったりした時期もあったのでしょうか。
松村さん:そんなになかったように思います。反抗期といっても、口をきかないといった程度のものでした。相手は高齢ですから、本気でぶつかるわけにもいかないという遠慮もありましたし、僕にとって親代わりの絶対的な存在でしたから、反発する気にもならなかったです。祖母は詩吟の先生をしていたので、僕も小学4年生から詩吟と、それに合わせて舞う「剣舞」を習っていました。そうしたなかで年長者や目上の人を敬う姿勢も、自然と身についたんだと思います。
── 当時の暮らしはどんな感じだったのでしょう?
松村さん:住んでいたのは、東京・文京区の風呂なし2Kの都営アパートです。決して裕福ではありませんでしたが、貧しいと感じたことはありませんでした。下町ならではの地域の結びつきが強く、助け合いが日常の風景。家の鍵なんて閉めた記憶がなく、隣のおばさんがおすそわけをくれたり、調味料を貸し借りしたり。まさに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界のような暮らしでしたね。
── 昭和の時代は、今より人との距離が近かったように思います。
松村さん:学校から帰ると「今日はどうだった?」と近所の人が声をかけてくれる。血のつながりはなくても、まるで親戚みたいな存在がたくさんいて、自然と大人たちに見守られていました。