35歳で叶った夢「これでやっとスタート地点」

本田景子
NFLの試合でパフォーマンスをする本田さん

── NFLチアになりたいという願いが叶った瞬間はどんな気持ちでしたか。

 

本田さん:ジャガーズは自分で電話をして合否がわかるシステムで、指定の番号に電話をすると英語で合格者のナンバーがコールされるんです。だから怖くてなかなか電話ができなくて。落ちたらどうしようかな、仕事探さないといけないなとかいろんな思いがめぐっていました。合格がわかったときはそれまで大変だったことが走馬灯のように思い出されて、ホテルの部屋でひとり号泣していました。25歳のときに初めて抱いた夢が10年後の35歳でやっと叶った。その喜びは言葉では言い尽くせなかったですし、これでやっとスタート地点に立てるという思いでいっぱいでしたね。

 

── 初めてNFLの舞台に立ったときも感慨深いものがあったのではないでしょうか。

 

本田さん:フィールドに足を踏み入れたときは言葉に表せないほど感動し、全身に鳥肌が立ちました。観客の歓声やフィールドの規模の大きさに感極まりましたし、アメリカで夢が叶ったということをあらためて実感した瞬間でもありました。

 

── ジャガーズには2018~2024年の6シーズン所属していました。いちばん印象に残っているのはどんなシーンですか。

 

本田さん:2022-2023シーズンの地区優勝を決めたシーズンラストゲームのときのことです。この試合ではじめて、私が作ったダンスをメンバーで踊ったんです。ロアーにはコレオグラファー(振付師)がいないため、ダンスの制作を立候補メンバーがします。このプレーオフ進出がかかった大事な試合で私が作ったダンスを披露することができて、とても幸せでした。さらに毎試合チームメイトから1人選出される「チアリーダー・オブ・ザ・ゲーム」にも選ばれました。試合中にフィールドで発表されるので、スタジアムにいるファンのみなさんにも祝福されて、チームも勝利しプレーオフ進出を決め、一生忘れない最高の瞬間でした。

 

実はジャガーズ2年目にディレクターから「ダンスを作ってみない?」と話を持ちかけられていたんですがそのときは自信が持てずに断ったんです。大学では国際学部で英語に携わってきたにもかかわらず、英語が全然できないことをアメリカに来てから思い知らされて…。最初のころはチームメイトとも積極的に会話ができなかったですし、そういう状況のなか英語でダンスを教えることや自分が作ったダンスに自信が持てず、逃げてしまったんです。でも、それがずっと心に引っかかっていて。このままだと絶対に悔いが残ると思い、このときは挑戦することを決意したんです。

 

── ジャガーズ時代に本田さんが嬉しかったことはどんなことでしょうか。

 

本田さん:頑張った証として、チームの1年目のメンバーから「Rookie of the year」が、2年目以降のベテランメンバーから「Veterann of the year」がひとり、シーズン終了後のバンケットで毎年表彰されるのですが、私は1年目とラストイヤーに両方受賞することができたんです。それがとても誇りでしたし、チームに評価してもらえたことがとてもうれしかったですね。