「何かを手放さなくては」と10年以上勤めた会社を辞め

── 覚悟を決めて渡米したときは会社を退職されています。チアリーダーと会社を両立させながらキャリアを積み重ねてきたのに、それを捨てるのは大きな決断だったと思います。

 

本田さん:現実問題として会社を辞めれば定期的に入ってくるお金がなくなりますし、居場所もなくなる。もし失敗したとしてもそれはそれでまた別の道が開けるのかもしれませんが、私はそれをイメージすることがずっとできずにいました。

 

いっぽうで、会社を辞める決意をしてアメリカに挑戦するくらい本気を出さないと合格はしないこともわかっていました。バスケ日本代表のチアをしていたころはすでに年齢が34、35歳。今がラストチャンスだなと思いました。何かを得るには何かを手放さないといけないとよく言いますがまさにその通りで、NFLチアを掴み取るために、本気で取りかからないとだめだなと。だから、10年以上勤めた会社を辞めてアメリカに挑戦する決意をしました。

 

── 2010年以来、2度目の挑戦となるNFLチアオーディションでは見事ジャクソンビル・ジャガーズに合格されました。

 

本田さん:第1志望はニューオーリンズ・セインツというチームだったので最初はこのチームのオーディションに焦点を合わせていました。実は私たちのような外国人チアリーダーがアメリカで活動する際には「O-1ビザ」という特殊なビザが必要なんですが、それを取得するためにサポートしてほしいというお願いも事前にチームにしてオーディションに臨んでいたんです。

 

それにも関わらず、セインツを受ける前にチャレンジしたアトランタ・ファルコンズのオーディション後にセインツからビザのサポートをしない可能性がかなり高くなったと知らせがあったんです。セインツに全力を注いでいたのでかなりショックでしたが、ファルコンズもファイナルで落ちてしまい時間と余裕がなく急きょほかの選択肢を考えることになり、自分のダンススタイルにもあっていた、ジャガーズのオーディションを受けることになったんです。

 

──「このチームでなければダメだ」というようなこだわりが強ければ、突然のアクシデントで機転が利かなかったでしょうね。

 

本田さん:私の場合は年齢が年齢だったので、わがままも言っていられなかったというのが本音です。セインツが第1希望ではありましたが、それ以上にNFLチアになりたいという思いが強かったので、チームへのこだわりは捨てましたね。ファルコンズのオーディションに不合格になった翌朝にはジャクソンビルにすぐに移動して、オーディション参加者必須のプレップクラス(オーディション前の対策クラス)に参加しました。知り合いがいないので不安でしたけど、とにかく気持ちだけは強くもつように心がけていました。

 

── オーディションはチームごとにセレクションの傾向があり、それぞれの対策が必要となるそうですね。ジャガーズのオーディション対策をまったく行っていなかったなかで受験が決まり、限られた時間内での対応もかなり大変だったのではないでしょうか。

 

本田さん:ジャガーズが何年に発足したとか、どういうチームなのかなど、急ピッチでチームのことを調べてダンスの対策もしました。オーディションには黒のジャズシューズを持参しなければならなかったし、ファイナルではソロダンスの審査があるので、音楽や衣装も自分で用意しなければならなかったんですが、何も準備していないゼロの状態だったので、急ピッチで用意をして。ただ、運よく知り合った現地にお住まいの日本人の方が衣装探しなどいろいろサポートしてくださったんです。その方のサポートがなければ合格はなし得なかったですね。