渡米して抱いたNFLチア挑戦の夢と挫折

── そのころにはすでにNFL(アメリカのアメリカンプロフットボールリーグ)でチアリーダーになりたいという夢を視野に入れて活動されていたんですか。
本田さん:プロボウルというNFLのオールスターゲームがあって。当時、プロボウルにチアリーダーやダンス経験がある人が参加できるというツアーがあったんです。そのツアーではプロボウルのチアリーダーから直接ダンスを教えてもらえて、さらに一緒にプロボウルのハーフタイムショーで踊れるという特権がついていて。NFLはチアをやっている人にとっては憧れの舞台。私は2008年に参加して、そのときに初めてNFLのチアリーダーにお会いすることができたんですが、ダンスはもちろん笑顔が素敵で立ち振る舞いなどすべてがカッコよくて。「この人のようになりたい」とあらためてNFLを目指したいと強く思うようになりました。
── そのツアーに参加された後、日本ではバスケットボールのプロリーグbjリーグの東京アパッチなどでもチアリーダーの経験を積まれました。2010年には初めてNFLのチアオーディションに参加されているんですよね。
本田さん:東京アパッチではTRFのSAMさん、CHIHARUさん、ETSUさんの元で活動して、厳しい練習を積んでかなり自信がついたんです。そのタイミングで思いきって会社の有休を取って、当時好きだったNFLの49nersのチアリーダーのオーディションを受けに渡米したんです。結果は不合格。でも、実は最初から最終オーディション前に帰国する日程で航空券を取っていたんです。もしファイナルに進めたら会社に話をしてみようかな…くらいの甘い考えだったんですよね。
2週間以上有給を取れなかったのもありますが、会社を辞めてまで受けに来ていた日本人の方がいたことを考えると、当時の私は本気度がたりなかったんだと思います。覚悟や決意が全然たりていなかった。それでもNFLチアは諦められなかったですね。日本でもっと修業をして、レベルを上げて、次は万全の準備をしてチャレンジしようと考えていました。
── 再びNFLのチアリーダーオーディションに挑戦するため、日本に帰国された後はどのようにアプローチされたんですか。
本田さん:ちょうど地元横浜にバスケットボールの新チーム、横浜ビー・コルセアーズができたタイミングだったこともあり、オーディションを受けて合格しチアをさせていただくことになりました。ただその年に腰を痛めてヘルニアを発症してしまって。病院や整骨院にもかなり通いましたが良くならず、チームを辞めることに。その後は1年間の休息期間を経て、チアリーダーを再開したい気持ちがおさまらず体も良くなってきたので、日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)のオーディションにチャレンジ。再びチアをすることになりました。
サンロッカーズでは4年間チアを務めたんですが、年齢も年齢でそろそろNFLのチアに挑戦しないといけないと考えが常にありました。ただ体はかなり限界にきていたのでNFLへの挑戦はいったん諦めたんです。そんなときにバスケットボール日本代表のチアチームが誕生すると聞き、オーディションを受けたら合格。そこでなぜか「日本代表になれたら世界を目指せる、世界に行くしかない」という謎の自信が沸いてきたんです。