母娘で引きこもった8か月が転機に

── 成長した翔子さんが書道に向かっていかれたきっかけは何だったのでしょう。
金澤さん:翔子が小学校4年生のとき、学校から「もう翔子さんを普通学級では預かれません。特別支援学級のある学校に移ってください」と言われたことがきっかけでした。なんとか小学校に入学できるまでに翔子を育て、周囲に馴染み、愛され、少しずつ幸せを感じられるようになってきたかと思った矢先でした。電車で通わなければならない遠方にある特別支援学級へと転校をうながされてしまったのです。
特別支援学級が嫌だったわけではなく、ようやく見つけた居場所を追われることが悲しかった。あまりにショックだったため、母娘でしばらく家に引きこもり、ひたすら般若心経を書き続ける日々が続きました。翔子には5歳のころから私が書を教えていましたが、知的障害を持つ10歳の子どもにとって写経は難しい作業だったはずです。それでも翔子は私を喜ばせようと、懸命に書道に取り組んでくれました。何日もひたすら書き続けました。
でも人生は不思議なものですね。結果的には般若心経を1万字ほど書き写した8か月間が、書家としての金澤翔子の基礎になりました。と同時に、私にとってそのつらかった時期は、翔子の愛の深さに気づかされる日々でもあったのです。私がどれだけ厳しく叱って指導しても、翔子はきちんと愛を返してくれるんです。紙を取り替えるときや指導が終わったときは、きちんと私に「ありがとうございました」とお礼を口にする。たくさん書いて自分だって疲れているのに、私を喜ばせようとあたたかいミルクティーを出してくれる。私が何かを教えているのではなく、翔子が私に愛を注いでくれているのだ。母と娘、2人きりで深く強く手を握り合っていたあの時期に、私はそのことを翔子から教えられた気がしています。