母にお金を渡されて「ひとりで遊んできな」と

── そんなサバイバルな生活のなかで、お母さんからの電話やメールはなかったのですか?

 

古原さん:そういうやりとりはまったくなかったです。面会に来たときに会うだけ。僕がいるとお母さんはいろんなことが不自由になるから仕方ないと思っていました。

 

児童養護施設に預けられたばかりのころ、お母さんが「八景島シーパラダイス」に連れて行ってくれたんです。でも、お金を渡されて「ひとりで遊んできな」って。お母さんは、ハロウィンの船上パーティーで仮装して知り合った人たちとお酒を飲んで、ひとりで楽しみたかったようでした。そのとき、僕がゲームセンターのカーゲームで遊んでいたら、外国人が「お前、ひとりでいるのか?」って一緒に遊んでくれたのを覚えています。何回もゲームをおごってくれて、僕が持っていたお金を「これは大事に取っておきなさい」って握らせてくれました。

 

古原靖久
お母さんと最後に会ったのは小5だったそう

── そんな状況だったのですね…。養護施設での立ち位置は変化していきましたか?

 

古原さん:小5くらいのとき、初めて職員に対して思いっきり口で反論したら、その人がひるんだんですよ。そのときに、「自分の言いたいことをちゃんと言わないとダメだ、言わないから舐められるんだ」って気づきました。それからは職員の人たちの僕の扱いが変わってきて、理不尽に殴る蹴るはしてこなくなりました。

 

でも僕がやんちゃなので、外出禁止とかほかの人より門限を早くするとか、規則で縛るようになったんです。それは、僕が以前から何度も脱走していたせいなんですけど。お母さんが面会に来てくれないから、自販機の下とかで拾ったお金を貯めて会いに行ったこともあります。面会は半年に1回、1年に1回という具合でだんだん減っていって、小5のころにはもう、お母さんは面会に来なくなっていました。