舞台を中心に活躍する俳優の古原靖久さん。若くして結婚した父母のもとに生まれ、ネグレクトのような過酷な状況で育ったのち、5歳で児童養護施設に預けられました。高校生まで暮らしたそこは、暴力が横行する「サル山」のような場所だったといいます。(全3回中の2回)

いくら待っても来ない母「僕はここに住むことになったんだ」

── 古原さんのお母さんは16歳で古原さんを産み、19歳でシングルマザーになったそうですね。産後間もなくからネグレクトの状況が続き、古原さんは5歳で児童養護施設に預けられたと伺いました。施設での生活は、いかがでしたか?

 

古原さん:それまでも保育園を転々としてたので、最初は養護施設にずっと預けられるとは思ってなかったんです。でも、お母さんがいっこうに迎えに来ないので、だいぶ経ってようやく「これからここに住むことになったんだ」と気づきました。強いヤツがいちばん偉いサル山みたいなところで、上下関係が厳しく、暴力や虐待が当たり前でした。上級生だけじゃなく、職員が子どもたちを虐待するっていう。今そんなことをしたら、職員のほうが処分されてしまいますが、当時はそこまで法整備が行き届いていなかったんです。そんな状況のなかで、僕は特に目をつけられていて…。

 

古原靖久
現在は5歳から高校生まで児童養護施設で育った経験をYouTubeや講演会などで伝えている

── それはどうしてですか?

 

古原さん:職員の言うことをおとなしく聞けばうまくいくのですが、僕は理不尽なことには従えない。言葉に出さなくても顔に出てしまうタイプなんです。それで生意気だって殴られて。何時間も正座させられたり、洗濯物は自分で手洗いするように命じられたりしました。それでも周りで言いなりになっているヤツを見て、「言いなりになるのは嫌だ、自分じゃなくなる」と思っていて。食事は、強い先輩がお肉を取ってしまうから食べられないんです。下っ端は野菜だけ。お肉などのたんぱく質は学校の給食でまかなっていました。