「障がいの有無は関係ない」といっても、いざ接するとなると…とまどうケースはあります。勝俣州和さんは幼少期の祖父との生活から、障がいに対して偏見なく育ちました。そして、交流を深めていく中で家族も成長したと言います。(全5回中の2回)

「義足の祖父」との生活が当たり前にあった

── 20年以上にわたり、栃木県足利市にある障がい者支援施設「こころみ学園」と家族ぐるみで交流を続けてこられました。園生の皆さんともすぐに打ち解け、仲間という意識で接していらっしゃいますが、人と接する時に垣根を感じさせない「偏見のないまなざし」は、どんな経験から育まれてきたのでしょうか? 

 

勝俣州和

勝俣さん:じいちゃんの存在が大きかったです。うちの祖父は、関東大震災で片足を失っていて、膝から下が義足だったんです。もともと足袋職人だったんですけど、その後は、乗馬用ズボンを仕立てる職人として有名になり、予約が3年待ちになるほどでした。俳優の勝新太郎さんが「3年も待てない」と、御殿場の店まで直談判しに来たこともあったと聞いています。

 

── 3年待ちですか!おじいさまは、とても腕のいい職人だったのですね。

 

勝俣さん:障がいがあっても人並み以上に働いて稼ぎ、グチを聞いたことも一度もありません。僕たちとって、祖父は「障がいのある人」というより、「とにかく格好いい人」で、うちの家族は「障がい=かわいそう」という意識はまったくもっていませんでした。だから、初めて24時間テレビを観たときに「世の中では、障がい者というのは、みんなで応援するような存在なんだ」と知って、ちょっとびっくりしました。

 

お風呂の時間になると、祖父は眼鏡をはずし、次に入れ歯をはずし、最後に義足をはずすんです。その姿がまるでロボットヒーローみたいに見えて、僕らきょうだいは、「ロボットごっこだ!」なんて、祖父の義足で遊んだものでした。家族で出かけるときも、自然と祖父の歩く速さに合わせていました。親父はふだん歩くのがすごく早いのに、家族旅行では祖父に合わせてゆっくり歩くんです。そういうさりげない思いやりを、小さいころから家族から学んでいました。

 

勝俣州和
7人きょうだいの長男。写真は小学5年生のころでいちばん後ろが勝俣さん

── 日常の中で自然に身についた思いやりが、偏見のない視点につながっているんですね。

 

勝俣さん:偏見という視点がないんです。自分のためだけじゃなく「誰かのために」という視点で動くようにしていると、不満や文句って出てこないんです。「じゃあ、自分がやるべきこと、求められていることをちゃんとやろう」と、自然と気持ちが前に向きます。「こころみ学園」のみんなは、それを自然にやっているんですね。だから一緒にいてすごく心地よいし、元気をもらえるんです。

 

これは、芸能界の仕事にもすごく重なる感覚なんです。誰かがどこかで見てくれていて、笑ってくれたり、喜んでくれたりする。その姿を思い浮かべると「よし、頑張ろう」という気持ちになるんですよね。僕にとって、「こころみ学園」は心が疲れたときに自然と足が向く場所。スタッフの皆さんや園生のみんなと一緒に農作業をしたり、何げない話をして笑いあっているだけで、心が浄化されて元気が湧いてきます。だから「障がい者支援」といわれると、まったく意味が違います。僕自身も支援しているなんて気持ちはまったくなくて、むしろ、あの温かい輪の中に仲間として入れてもらっている。それがただ、うれしいんですよね。