「引退決意」震災をともに乗り越えた親友の言葉は
── パリ五輪ではベスト8入りし、11月にはご自身のSNSで現役から退くことを発表されました。以前からそのタイミングで引退することを決めていたのですか?それとも競技人生をまっとうしたという思いが強かったからなんでしょうか?
大堀さん:実はオリンピックに出場することが決まったあたりから、引退を少しずつ考えるようになっていました。オリンピックで後悔なくやりきれたら満足と。もし、オリンピックが終わってまだやりたいという気持ちが強ければ続けていたかもしれませんけどね(笑)。でも、もう十分だなという気持ちが大きかったです。
── 親友の五十嵐選手に引退を伝えたときはどんな言葉をかけられましたか。「寂しい」と言われませんでしたか?

大堀さん:言われました(笑)。家族以外でいちばん最初に引退を伝えたのが有紗でした。第一声は「辞めちゃうの?」って。ただ、いろいろ話をするなかで私の気持ちや考えを理解してくれ、最後には「そこまでやりきったのは本当にすごいことだよ」と声をかけてくれました。お互いによく相談するんですが、有紗には私の考えを否定されたことは一度もなく、尊重したなかで解決策を一緒に考えてくれる。だから、いつも彼女を頼りにしていました。現役中、私は壁にぶつかることがすごく多かったので、そういうときになんでも言い合える“親友”が、仲間がいたのは力になっていました。もちろん、引退してもこの関係性はこれからも変わらないと思っています。
── ご両親は実業団選手として活躍し、父・均さんは現在A代表のヘッドコーチを務めています。そんなバドミントン一家で育った大堀さんの22年間の競技人生はどんな時間でしたか?
大堀さん:長いようで短い競技人生でしたね。6歳から始めて22年間は全力で駆け抜けてきました。今、28歳なんですが、バドミントンと共に歩んだ人生でした。第1章はこれで終わりますが、これからも何らかの形でバドミントンに携わっていくような仕事をしていきたいですね。
PROFILE 大堀 彩さん
おおほり・あや。1996年10月2日福島県生まれ。小学1年からバドミントンを始める。バドミントンの強豪、福島の富岡第一中を経て、富岡高に。2年次にはアジアユース選手権で日本勢初優勝を果たした。高校卒業後の2015年にNTT東日本に入社し、16年にトナミ運輸に移籍。全日本総合選手権では3度準優勝。昨年はパリ五輪に出場し、12月末で現役を退いた。
取材・文/石井宏美 写真提供/大堀彩さん