試合で家を空け「彼女を孤独にさせてしまった」
── その後、アメリカから一緒に帰国し、91年に結婚されました。
蝶野さん:じつは「もしかしたら自分はこのまま帰国命令が出ないパターンかもしれない」と思っていたんです。出世コースの選手はだいたい、会社から生活費が出たり、コーチがついたりするのですが、自分はそうではなく、会社からの帰国命令が出るまで戻れない片道切符のパターン。試合で一時帰国しても、また海外遠征に出され、「もうこのまま海外で食っていくしかない」と腹をくくり始めていた矢先に、ようやく帰国命令が出て、2年間の海外遠征から戻ることになりました。
ただ、ずっと海外にいたので、国内のプロレス業界の様子がよくわからない。ですから、まずはひとりで帰国して、レスラーとしての地盤を固めてから彼女を日本に呼び寄せようと思い、「1年間待っていてほしい」と伝えたのですが、信用してもらえなくて。「離れて暮らしたら、あなたは私のことを忘れる。だから、私も一緒に日本に行く!」と言ってくれたので、2人で帰国。その2年後に結婚しました。
── 帰国後は、「闘魂三銃士」(同期入門の武藤敬司さん、橋本真也さんとのユニット)が人気を博し、数々のタイトルを獲得されるなど、レスラーとして大活躍されました。
蝶野さん:生活はまだまだ厳しかったです。会社としては活躍の場を用意してくれたけれど、ギャラは海外に出る前と同じだったので、食べていくだけでせいいっぱい。生活費を抑えるために、兄とマルティーナの3人で暮らしていました。結局、レスラーとしての足場を固めるまで5年以上かかり、その間は自分のことで必死。帰国翌日からスケジュールに追われ、全国ツアーで10日くらい家を空けるなど、日本で頼れる人がおらず、言葉も通じないマルティーナをケアする余裕がありませんでした。
あとから「あのころがいちばん孤独でつらかった」と彼女から聞いて、心が痛みました。自分もヨーロッパでホームシックになってあれほどつらい経験をしたにもかかわらず、彼女に寄り添うことができず、我慢させてしまった。いまでもすごく後悔しているし、反省しているんです。