妻の生きがいを作りたい一心での起業

── 99年に夫婦でアパレルブランドの会社を設立されました。起業のきっかけはなんだったのでしょうか?

 

蝶野さん:レスラーとしてのセカンドキャリアを考えるきっかけがありました。98年、レスラーとして上昇気流に乗っていたころ、試合中に首に大ケガをしたんです。頸部の椎間板ヘルニアでした。医師からは引退勧告されるほどのケガで、「次のキャリアのことも考えておかなくてはいけないな」と思うようになりました。当時は、子どもがいなかったので、「夫婦で一緒にビジネスをやろうか」ということになり、起業に向けて準備を始めたんです。

 

もともと結婚前から、彼女にはリングのコスチュームやイベントの衣装などをコーディネートしてもらっていてセンスを信頼していたので、マルティーナがデザインするアパレルブランドを立ち上げました。結局、治療がうまくいってリングに復帰できたのでレスラーを続けながら、夫婦で会社経営をすることにしたんです。

 

── マルティーナさんは、もともと裁縫や洋服づくりが得意でいらしたのですか?

 

蝶野さん:いえ、そういうわけではなかったんです。ドイツではホテルの学校で接客からマネジメントまでをトータルで学び、ソムリエの資格なども持っていました。でも、日本ではそうしたスキルをなかなか活かせず、本人はもどかしかったようです。右も左もわからない日本についてきてくれた彼女のためにも「なにか生きがいになるような場所をつくりたい」。会社を設立したのには、そんな理由もありました。

 

蝶野正洋
ご夫婦のアパレルブランド「アリストトリスト」の衣装を着て

ただ、ファッションは大好きだけど、裁縫は素人。最初はパターンなどもわからず、いろいろと試行錯誤しながら作っていましたね。デザインも縫製も独学です。

 

── 蝶野さんといえば「黒のカリスマ」。黒で統一されたコスチュームが印象的です。

 

蝶野さん:もともと自分のなかで、黒をイメージカラーにしたいと思っていました。ただ、当時、新日本プロレスの先輩たちは、黒のコスチュームが多かったんです。我々の世代でそれと一緒では目立たないからと、自分が白、武藤(敬司)さんが赤、馳(浩)選手が黄色など、黒ではないイメージカラーで展開していました。でも、だんだん年長者の人たちがいなくなってきて、黒色カラーの人が空き始めたタイミングを見計らって、「よし、いまがチャンス!」と滑り込んで(笑)。マルティーナに、「今度、黒にイメージチェンジするんだけど、コスチュームを作ってくれないか」と相談し、生まれたのが「黒のカリスマ」の衣装だったんです。

 

── まさに二人三脚で歩んでこられたのですね。異国の地で奮闘されてきたマルティーナさんのしなやかな強さも素敵です。

 

蝶野さん:弱音を吐かずについてきてくれた妻には感謝してもしきれませんね。おかげでいまでもまったく頭があがりません(笑)。ただ、妻に限らず、ドイツ人はすごく真面目で勤勉。そういう面では、日本人に似ているなと感じます。

 

PROFILE 蝶野正洋さん

ちょうの・まさひろ。1963年生まれ、アメリカ合衆国シアトル出身。1984年に新日本プロレスに入門し、同年デビュー。以来、数々のタイトルを獲得し、「黒のカリスマ」として人気を博した。2010年に退団。現在は、メディア出演や講演活動など多方面で活躍し、「AED救急救命」や「地域防災」の啓発活動にも尽力。アリストトリスト代表取締役。一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会代表理事。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/蝶野正洋