猛々しく圧倒する漆黒のリングコスチュームやレスリングスタイルで「黒のカリスマ」として名を馳せたレスラー・蝶野正洋さん。コスチュームは作ったのは、ドイツ人の妻でした。見知らぬ土地で奮闘する妻の生きがいのためにも、と歩んだ夫婦起業の道のりを聞きました。(全4回中の3回)

海外でホームシックに「パーティーに誘われて」

── 「黒のカリスマ」のニックネームでおなじみのプロレスラー・蝶野正洋さん。結婚して33年になるドイツ人のマルティーナ夫人とは、海外遠征中に出会われたそうですね。夫婦のなれそめを教えてください。

 

蝶野さん:新日本プロレスに入団して3年目の1987年、武者修行のために海外遠征でヨーロッパを回っていました。オーストリアからドイツを回り、最終地点がブレーメン。ただ、当時のヨーロッパはまだアジア人に対して閉鎖的な空気がありました。言葉は通じないし、周りとのコミュニケーションもうまくとれない。孤独感からホームシックになって、ふさぎ込んでいたんです。

 

そんな自分を気づかってイギリス人の先輩レスラーが後援会のパーティーに誘ってくれました。「誰かコイツと話が合いそうな同年代の女の子はいないか?」と、呼び掛けてくれたのですが、たまたま参加していたマルティーナのお母さんが、「それならうちの娘を連れてくるわ」と。それが、彼女との出会いでしたね。

 

蝶野正洋
奥様お手製のリングコスチュームを身にまとう蝶野さん

── まさかおふたりを引き合わせたのが、マルティーナさんのお母さんだったとは。

 

蝶野さん:ただ、その日はツアー前のトーナメントがひと息ついた時期で安心感もあったのか、かなりお酒がすすんで泥酔してしまい、ひとりで泣いていたらしいんです。

 

── えっ、どうしてまた…?

 

蝶野さん:ホームシックが相当きていたのでしょうね。レスラーとしても、もがいていた時期でした。未熟な若造がヨーロッパのトップ選手たちの中にひとりでポンッと放りこまれ、試合にも勝てない。自分の力量のなさに打ちのめされ、心が半分、折れているような状態だったんです。

 

でも、マルティーナはそんな自分に優しく接してくれて、心が救われる思いでしたね。酔い潰れた自分を介抱し、先輩レスラーと一緒に宿まで送り届けてくれたんです。もう一度会いたかったので、お礼を口実に彼女の仕事先を訪れ、何度もアタックして交際にこぎつけました。

 

蝶野正洋と妻
ドイツ出身のマルティーナさんと2人で始めたアパレルビジネスは今年で25年になる

── 情熱的ですね。「花束を抱えて連日マルティーナさんのもとに通った」という噂も。

 

蝶野さん:花束はたしか1回、いや3、4回だったかな(笑)。先輩レスラーには「あれからどうなった?」と毎日冷やかされて、恥ずかしかったのを覚えています。その後、遠征でアメリカに渡り、なんとかレスラーとして食べていけるくらいになってから彼女を呼び寄せました。