弾ける笑顔が印象的なAKINAさんがデビューを飾ったのは12歳のときでした。充実した日々を過ごしながらも、振り返って気がついた「青春時代に空いた時間」について伺いました。(全3回中の1回)
安室奈美恵さんに憧れて
── 幼少期はどんなお子さんでしたか。
AKINAさん:小さい頃から歌って踊ることが大好きでした。毎日、家ではCHAGE and ASKAさんや、工藤静香さん、沖縄出身のBEGINさんや、りんけんバンドさん、それに洋楽など、さまざまな曲が流れていました。
両親が美空ひばりさんや石川さゆりさんなどの演歌も好きだったので、よく聞いていました。4つ上と5つ上の姉がいるので、家族でドライブに行く際には、それぞれにお気に入りの曲が入ったカセットテープを順番にかけるんです。音楽はごく身近なものでした。
── 小さい頃からいろんなジャンルの音楽に親しんでいたんですね。
AKINAさん:レコーディングで海外の方とご一緒する機会があったときに「AKINAの今の歌い回し、ちょっと演歌っぽいね」と言われたことがあって。ユーロビートを歌っていたので、自分ではまったく意識していなかったのですが、「もしかしたら幼いときに聞いていたあれが?」と思って、おもしろいなと思いました。
── 「三つ子の魂百まで」といいますもんね。いつ頃から歌手になるのが夢だったんですか。
AKINAさん:幼稚園の年長か小学1年生の頃にはすでに「歌手になりたい」と思っていました。そこから今までずっとブレずにきています。テレビっ子だったので影響された部分も大きいのですが、歌って踊れる人になりたいという憧れがずっとありました。
── 沖縄アクターズスクールに入るきっかけは何でしたか。
AKINAさん:「安室奈美恵を目指せ!NEW SUPER MONKEY’Sオーディション」をCMで見て、受けたいと思いました。第2の安室奈美恵は君だ!という謳い文句に完全に惹かれて。受かった時は安室奈美恵さんになれると思っていました(笑)。
小6でデビュー、中1で上京も「ホームシックもなく」
── その後、小学6年生でFolderとしてデビューされます。
AKINAさん:当時はまったく自分の年齢のことについて何も思っていなかったのですが、うちの娘がこの夏で9歳になるんです。自分が子育てをしていて、「もうちょっとで私がデビューした年になるな」と思うと、ちょっと早すぎるなと思います。
── 中学1年生のときに上京もしたそうですね。
AKINAさん:メンバーのDAICHI(三浦大知さん)が変声期を迎えるにあたって、ボーカルをどうするかという話になりました。それで、東京でボイストレーニングに通ってみるのはどうかと打診を受けたんです。
── ご両親は反対されませんでしたか。
AKINAさん:お母さんは「今まで通り、沖縄から東京に通ったらいいんじゃないの」と反対していました。でも、お父さんが「やるからにはきちんとやってきなさい」と背中を押してくれて。そこから東京の女子寮での生活が始まりました。夢があるって、なりたいものがあるってすごく強いなと思ったのですが、ホームシックにもならなかったんです。
── その年齢で!すごいですね。東京での生活はいかがでしたか。
AKINAさん:渋谷のスクランブル交差点で、あんなにたくさん人がいるのに、どうしてみんな人にぶつからないで歩けるんだろうと思っていました。うまく交わしていく感じがかっこいい!と(笑)。
沖縄ではできなかったことが東京ではできていたので、本当に楽しかったです。ジャズやヒップホップなど、いろんなジャンルのダンスを習うことができましたし、ボイストレーニングも、発声練習の基礎から学んで、今まで歌ったことがない曲にも挑戦して。嬉しくて仕方なかったです。その後、女性だけのメンバーでFolder5として再結成しました。
── 10代から多忙な生活を送っていたと思います。
AKINAさん:「THE夜もヒッパレ」に出させてもらっていたのですが、先輩のSPEEDさんなどがすでに活躍されていたので、「仕事は何時まで」というようなルールを私たちにも引き継いでくれたんです。なので、夜中を過ぎても仕事をしているということはありませんでした。
でも、スケジュールは結構タイトでした。私たちは歌のほかにダンスもあるので、テレビに出ていないところで振りつけも覚えなくてはなりません。自分たちの曲だけではなく、他の方の曲を歌うときは、キーも違いますし、時間がなくて覚えられないという焦りは常に感じていたと思います。
── 練習時間はどう確保していたんですか。
AKINAさん:寮に帰ってきてから、自分の部屋の鏡を見ながら練習して、あとは移動中や待機時間などにCD-Rを聞いて曲を覚えていました。でも好きなことなので頑張れたんです。