世界的オーボエ奏者を父にもつヴァイオリニストの宮本笑里さん。高校は音楽高校に進学するも、周りから言われのない言葉に不登校も経験して(全3回中2回)。

毎日学校に行くフリをして

── 宮本さんといえば、2007年のデビュー以来、クラシックとポップスの両方を弾くスタイルを確立されていますが、デビュー当時はそのスタイルを疑問視する声があったそうですね。

 

宮本さん:今ではたくさんの方がヴァイオリンに限らずクラシックの楽器を使用して異なるジャンルの音楽に挑戦し、SNSなどで積極的に発信していますよね。

 

でも当時はクラシックの世界では、クラシック楽器ではクラシックを弾くべきというか、ポップスはやってはいけないという空気がありました。

 

── 音楽家のお父さん(世界的オーボエ奏者・宮本文昭)は、どのように考えていたのでしょうか?

 

宮本さん:「いいんじゃない?」と温かい目で見守ってくれました。父もまた、オーボエでジャズやポップスのような曲を作曲して発表していた人で、どちらかと言えば少し珍しいタイプの音楽家だったので。

 

ただ、父の場合はクラシック界で認められたあとポップスなどに挑戦していたのですが、私の場合は新人だったので歓迎されなかったのだと思います。実際に先生や友人から「なんでその道に行ったの?」「何があったの?」と電話がかかってきたことも。

 

── 伝統を重んじる世界なんですね。

 

宮本さん:批判の声が大きく、なかなか理解してもらえないなと落ち込むことはありましたが、徐々に自分の道は間違っていなかったなと思えるように。逆に今は若い人たちを応援する立場になってきています。クラシックの世界は競争が激しい世界でもありますが、私は若い人のチャレンジをどんどん応援したいですね。

 

── そんな厳しい世界に飛び込む以前にはツラい経験があったことをSNSにつづっていました。

 

宮本さん:そうですね。実はいじめを度々経験していて、小学生のときは椅子に画鋲が置かれていて太ももに刺さったこともありました。ただそれはまだ大人しい方で…一番ツラかったのは高校生のとき。

 

娘さんと公園にて

── どのような学校生活だったのでしょうか。

 

宮本さん:音楽を学ぶ高校に通っていたため、仕方のないことだったのかもしれませんが、オーボエ奏者である父・宮本文昭の名がとても大きく「親の七光り」「親のコネで高校に入学できた」と言われました。

 

また、音楽高校には必ず実技テストがあるのですが、その成績がいいと「親が裏で口を効いたからだ」とありもしない噂をたくさん流され、放課後に同級生から呼び出されて問い詰められたりしたことも。学校に自分の居場所はなくなり、本当にツラくて転校したくて、家に帰ってくるなり他の学校を毎日毎日インターネットで必死に探していました。

 

── いじめのことはご両親へ相談できましたか?

 

宮本さん:自分からは言えませんでした。毎朝、普通に学校へ行っているフリをして家を出るも、実際は学校へ着くとお腹が痛くなり早退。外で時間をつぶして学校が終わる時間に帰宅していたのですが、それが続いたことで学校から家に連絡があり、両親も知ることに。

 

そのとき父に「北海道の学校を調べたから、今の学校を辞めてそこに通わせてください」とお願いしたのですが、父から言われた言葉は「そんな弱い精神でいたら、音楽家としてやっていけないよ。負けてどうするんだ」でした。