高さ4メートルの金網からから飛んで、相手にギロチン・ドロップを決めた瞬間、金網デスマッチは伝説に──。悪役レスラーが引き立て役だった時代が終わりを告げたのです。(全5回中の2回)

「笑顔もサインも禁止」悪役の厳しい掟

── 極悪同盟に入り、ダンプ松本さんに髪を半ハゲに刈り上げられたブル中野さん。以後、悪役を極めますが、どんな気持ちでのぞんでいたのですか?

 

ブル中野さん:徹底して嫌われるために、周りが話しかけられないオーラを出していました。「笑っちゃいけない」「サインしちゃいけない」「笑顔を見せない」など、極悪同盟にはたくさん掟がありました。

 

── 悪役のメイクは独特ですが、ご自身で?

 

ブル中野さん:最初はメイクの方法がわからなかったので、極悪同盟に入った当初はダンプさんや他の方にしてもらっていました。化粧品は、歌舞伎や舞台化粧用のねっとりしたタイプを使いました。

 

ダンプさんも素顔はたれ目でかわいい感じで、私も同じ感じでした。だから素顔を隠すために恐ろしいメイクをしようと、ずいぶん試しました。当時は、赤や青などカラフルな化粧品はあまりなかったので、油性ペンで描いたりしましたね。

 

── 油性ペンでメイクを!?

 

ブル中野さん:油性ペンだとメイクを落とそうとしても全部は落ちないです。年間250~300試合、毎日同じところをペンで塗りました。

 

すると、だんだん毛穴が開いて色が入ってしまうのですが、そこをなぞれば、まったく同じメイクが仕上がりました。

 

さらに悪役らしさを出すために、60キロくらいだった体重を最大115キロまで増やしました。起きているときは試合か、練習か、食べているか、というくらい食べ続けていましたね。

極めたことで「悪役が主役」の時代を作り出した

── 極悪同盟で4年半一緒に活動したダンプ松本さんが引退し、ブル中野さんの時代になってからは悪役が注目を浴びる機会が増えたそうですね。

 

ブル中野さん:それまでは、会社(全日本女子プロレス)から「悪役は目立っちゃいけない」「お前らはベビーフェイス(善玉)の引き立て役だから、人気者になろうなんて思うなよ」と、言われ続けてきました。

 

でも、私たちの頑張りで、悪役同士が組んで主役・メインイベンターになってお客さんを呼べるようになりました。当初は考えられなかったことです。

 

「悪役が引き立て役」の構図を変えてやろうと思っていて、実際に変えるまでには本当に時間がかかり、大変な時期もありましたが、最終的には打破できたんです。それによって、試合のプログラムさえも「悪役をメインにすえる」ものに変えることができました。

 

── ベビーフェイスと悪役の枠を超えて、女子プロレス界のトップに。従来の女子プロレスにはなかった、四方を金網で包囲されたリングで行う金網・デスマッチ、対戦者同士の手首を鎖でつなぐチェーン・デスマッチなどを行いました。印象に残る試合は?

 

ブル中野さん:1990年11月のアジャコングさんとの金網デスマッチですね。高さ4メートルの金網の上からダイブしてギロチン・ドロップを決めた試合です。

 

この試合はレフェリーなしで、凶器持ち込みOKにしたため、アジャコングさんは竹やロープ、ハサミを使い、私はヌンチャクなどで応戦。

 

最後はマットに倒れたアジャコングさんめがけて金網の上からダイブするとき、背骨が突き抜けて私は死ぬだろうな、と覚悟して飛びおりました。

 

── 2021年、YouTubeチャンネル『ぶるちゃんねる』の対談でアジャコングさんが「あの瞬間負けるとわかっていた。でも、死んでもいいから、中野さんを受けとめようと思った」と語り、プロレスの真価を感じました。その後、ブル中野さんは、日本人として初めてアメリカのWWF世界女子王座を獲得。日本と比べてアメリカの団体の試合はいかがでしたか?

 

ブル中野さん:全日本女子プロレスのレベルが世界一なので、どこに行っても試合は楽に感じました。日本人では、WWF(World Wrestling Federation、現WWE)ヘビー級ベルトを取ったのは、男子を含めて私が初めてでした。

 

── ブル中野さんの身体能力の高さやカリスマ性は抜きんでていました。100キロ前後の巨体なのに空中を舞う姿は圧巻。あれだけ激しい試合をして、ケガなどは?

 

ブル中野さん:ケガしたことも、させてしまったこともあります。でも、骨が折れていてもヒビが入っていても隠して試合する感じで、みんなほとんど言わないですよね。もし骨折がバレたら、自分のポジションに新人が入ったりしますから。

 

年間250~300試合だと、ほとんど毎日が試合です。若いのですぐ治るとはいえ…。よくあるのは首の痛み、肩の脱臼、膝・足首の故障などですね。私は、膝のじん帯断裂が引退を決めるきっかけになりました。

「20年言えなかった…」大先輩への涙の謝罪

── 2021年に開設したYouTubeチャンネル『ぶるちゃんねる』では、当時のレスラー仲間をゲストに招いて対談しています。

 

ブル中野さん:あれは懺悔のためにやっているような番組です(笑)。当時は、自分が一番だと自信を持たないと成り立たちませんでした。

 

本当は自分が悪いとわかっていても、突っぱってしまい、若さゆえにケンカした人たちがいっぱいいるんです。いま、その人たち一人ずつに番組に来ていただき、謝っています。

 

── ダンプ松本さんがゲストの回では、ブル中野さんが涙を流して謝罪していて驚きました。

 

ブル中野さん:ダンプさんにはせっかく極悪同盟で育てていただいたのに、自分が成長するにしたがって、やり方が違うと思える部分がでてきたんです。自信がついて、私が生意気になってしまいました。

 

ダンプさんが引退するとき、私を芸能界に誘ってくれたのに断ったこともあり、ダンプさんの引退間際は本当に仲が悪かったです。

 

その後、20年くらいは口をききませんでした。もちろん仕事で一緒のときは、仕事として話をしましたが、その行き帰りは無言でした。心を開いて話をする機会は、2021年『ぶるちゃんねる』にゲストに来ていただくまで、ありませんでした。

 

『ぶるちゃんねる』では、「現役当時はプロレスの方向性や考え方の違いから、自分はダンプさんよりも実力が上だと何度も言ったけれど、偉大なダンプさんを越えたかったからそのようなことを言ってしまった」と、素直に謝りました。

 

素顔のダンプ松本さんとブル中野さん

ダンプさんは事情をわかっていてくれたようで、「ブルちゃんは、凶器を使う攻撃の極悪同盟とはまったく違う、凶器を使わない実力のみの戦い方でプロレスをやりたいんだと理解していたから、全然、謝らなくてもいいよ」と言ってくれました。

 

── 心にしみる会話でした。ダンプさんが「ブルちゃんは尊敬できる後輩だよ」と励ましている姿を見て、なんて心の広い温かい先輩なんだろうと。

 

ブル中野さん:あのとき、私たちのわだかまりがとけていきました。その後は、トークショーを一緒に行ったり、いまでも現役で試合を続けるダンプさんを応援しています。

 

 

PROFILE ブル中野さん

1980年全日本女子プロレスに入門、1990年代に悪役として頂点を極める。米国のWWF世界女子王座を日本人として初めて獲得する他、WWWA世界シングル王座獲得多数。YouTubeチャンネル「ぶるちゃんねる」で多くのレスラーと対談中。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/ブル中野