一時代を築いたプロレスの世界から退き、やりたいことを模索した30歳のブル中野さん。アメリカに渡り、プロゴルファーを目指します。9年間挑んだ先に見えてきたものとは。(全5回中の3回)

引退後に襲った不安「やりたいことがみつからない」

── 悪役でありながら、ベビーフェイス・悪役の枠を超えたレスラーとして女子プロレス界の主役として活躍したブル中野さん。金網デスマッチやギロチン・ドロップが強く印象に残っています。海外タイトルも多数獲得しましたが、ケガに苦しまれたそうですね。

 

ブル中野さん: 30歳のころ、アメリカのWCW(World Championship Wrestling)の選手権でチャンピオンベルトをとったら引退しようと考えていました。

 

しかし、そのデモンストレーション試合で左ひざのじん帯を2本切ってしまいました。治ってからも以前のように、お客さんが「ここだ!」と思う瞬間では動けなくなったんです。

 

そこでギロチン・ドロップを見せれば、絶対お客さんが湧くとわかっていても1、2秒タイミングが遅れてしまう。これはお客さんに失礼だから、もうやめようと決意しました。

 

── 引退直後はどんな状態でしたか?

 

ブル中野さん:15歳からプロレスしかやってないから、やめることが怖かったです。引退後、久しぶりにゆっくり実家に帰りました。現役時代は夏に2日間、お正月に2日間しか休みがなくて、ほとんど休んだ経験がなかったんです。

 

実家では「いままで頑張ったんだから、何もしなくていい。働かなくていい、ゆっくりしなさい」と言われました。でも、突然、ゆっくりしなさいと言われても…。

 

自慢の娘、お姉ちゃんにまたなりたくて、何かやろうと思ったんですが、やりたいことが見つからないんですよね。プロレス以外なにも知らないから。

 

── 15年間ほぼ休みなくプロレスを続けて、いきなりの進路変更は難しく感じますね。

 

ブル中野さん:そう、だからやってみたいと思えることを必死で探しました。それがたまたまゴルフだったんです。

 

プロレスって夕方6時半から試合がはじまる夜型の世界なんです。一方、ゴルフは早朝からコースをまわります。現役時代、何回かコースをまわってみて、朝日と同時にスポーツできることに「なんて素晴らしいんだろう!」と新鮮に感じたんです。

「やるならとことん」30歳からプロゴルファーを目指す

── ゴルフは趣味として、でしょうか?

 

ブル中野さん:いいえ、やるならプロを目指したいと思いました。当時は、プロを目指す人はゴルフ場でキャディとして働きながら、仕事の後に練習ができる研修生になるケースが多かったです。

 

でも、研修生の募集は高校卒業直後の18~22歳くらいがほとんどで、私は30歳。研修生として入れるゴルフ場がほとんどなかったのですが、事情を話し、つてをたどってなんとか入れてもらいました。

 

── プロレスで頂点を極めた後、若者に交じってキャディ見習い。とまどいはなかったですか?

 

ブル中野さん:覚悟はしていました。問題は体重です。プロレスをやめて半年間、実家にいると、何をしていいのかわからなくて、グレたというか、お酒ばかり飲んでいたんです。

 

ゴルフをやろうと決めたときの体重は115キロ。膝のじん帯が切れていて痛くて歩けないし、階段も上れない状態でした。

 

ゴルフ場に入ることが決まり、若い子たちと一緒にトレーニングできるような、まずは走れるような身体にしようとジムに通い、3か月で50キロ減量しました。

アメリカでプロテストには合格できなかったけれど

── 3か月で50キロ減量!ゴルフ場のみなさんはブル中野さんだと知っていたのでしょうか?

 

ブル中野さん:現役時代から50キロやせて、外見も別人みたいになりました。ゴルフ場のスタッフの方は“ブル中野”だということを隠してくださったんですが、やっぱりどんどんバレてしまうんですね。みんなの前に呼ばれて、「ブル中野さんです」って紹介されたり…。

 

しかたない、初めてやることだし、恥をかかなくっちゃと覚悟はしていましたが、“ブル中野”だとバレるとカッコつけないといけない。

 

日本ではゴルフ研修生はできないとあきらめて、そのゴルフ場をやめ、アメリカでプロゴルファーを目指すことにしました。

 

── アメリカでは、“ブル中野”にとらわれずにゴルフ修業ができましたか?働きながらゴルフを?

 

ブル中野さん:現役時代の貯金を使ったので、いっさい働きませんでした。9年間挑戦して3回目のプロテストを最後に、日本に帰国しました。

 

プロになれないとわかったときは落ち込んだというか、ダメだったかー、と悩みました。プロレスも同じですが、何かに打ちこむことしかしてこなかったから、これからどうしようか途方にくれました。

 

── プロの壁は厚かったのですね。ゴルフを通して、アメリカでブル中野さんは変わりましたか?

 

ブル中野さん:日本では、現役時代の“悪役”をひきずっていました。現役時代は、一般の人たちに心の中を見せないよう、人を絶対に寄せつけないオーラを出していました。

 

「笑っちゃいけない、握手もサインもダメ、馬鹿にされないように」って。だから、やめてからも、みなさんと普通に話ができなかったんです。

 

やめた後もプロレス好きの人は「ブル中野だから」って大切にしてくれたりするんですけどどうしても気を遣ってしまうので、過去を切り離してゴルフ修業をしたかったんです。

 

アメリカで、私がプロレスラーだったことを知らない人たちと一緒にプレーをしながら、「一般の人とはこんなふうに接すればいいんだ」と、9年間でたくさんのことを学び、心の鎧を脱ぐことができました。アメリカでは「単に私の性格が好き」など本来の私自身を大切にしてみんながつきあってくれたので、本当にラクでした。

 

PROFILE ブル中野さん

1980年全日本女子プロレスに入門、1990年代に悪役として頂点を極める。米国のWWF世界女子王座を日本人として初めて獲得する他、WWWA世界シングル王座獲得多数。YouTubeチャンネル「ぶるちゃんねる」で多くのレスラーと対談中。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/ブル中野