「しまった」はいつも、でも「これやりたい」に出会った

── 途中「しまった」と思うことはなかったですか?

 

青木さん:
基本すべてお金についてですけど、ずっと「しまった」ですよ(笑)。売上げが上がるか下がるかで、今日ビールを買っていいか、悪いかが決まります。定額の給料が入れば苦労しないのに…っていつも思ってました。でも、お金は道具であって、手段でしかないとも思うんですよね。

 

布を染めている様子。自然の色が布に移っていく

私が教えてもらった廣田さんにはさらに先生がいらして、前田雨城さんという古代染めの大家です。廣田さんが「世の中には染めは2種類しかない。前田の染めかそれ以外だ」といつも言っていたんです。

 

言いすぎだろうと思っていたんだけれど、たまたま前田先生の展示会があって、手伝いに行った際、反物を見て衝撃を受けました。

 

無地の反物が18反並んだだけの展示なのに、指で触ろうとしても遠近感がわからなくなるんです。唐紅色も触ると火傷しそうな熱々な色で、別の反物は鉄の匂いがするような色なんです。もう、よくわからないから写真撮るのはやめて、お客さんが来る前にじっと見てたけど、僕は笑いながら、涙を流して見ていたようです。あの日以来、僕も単純に「これ、やりたい」って思ったんです。
 

前田先生は平安時代の色を再現する研究者なんですね。平安時代の記録を紐解いて、調べ尽くして、研究しているんです。僕もそれをやりたくなっちゃったんです。

 

── 出会いがあったんですね。

 

青木さん:
そうですね。その後、自分で古代の染色をしたくて独立したんですが、和装業界にコネクションもない人が食っていけるわけないんですよ。でも、服好きなので、昔の染め方を調べているうちにわかってくることが出てきて、若輩者ながらも染色技術ができるようになりました。その方法でTシャツを染めたら7000円ぐらいで販売できるぞと思い、それで2002年に京都市で「手染メ屋」を個人事業主で始めたんです。

 

妻と話していたのは、会社にいたとき、いろいろとマーケティングを習ったけど、家族が生きていければ良いので、自分が着たい服を作って、自分と似た人が買ってくれたら、やっていけるんじゃないかということですね。

 

自分に売るためのものを作って、自分の好きなように宣伝し、自分の好きなようなホームページにしたら、自分と似た人が来るんじゃないかと思ったんです。重要なのは、作りたいものではなくて、自分がほしいものなんです。

 

草木染で服を売っている人としては、当時は早かったと思いますが、ネット販売をしました。規模が小さかったので、京都で店舗前を通る人だけで商売になると思えず、全国も考えて、いろんな人が商品を見えるようにホームページを作って販売したのが良かったと思います。

 

tezomeyaのシャツやスカート。草木染めの色が魅力的

── いろいろ工夫なさっているんですね。

 

青木さん:
フリーランス、個人事業主でやっていると、止まっているとアウトなので、動かないといけないんです。

 

── 店名をtezomeyaに変えたのはいつでしょうか。

 

青木さん:
起業3年目ぐらいの時ですね、ある日、突然「手染メ屋」はダサいと思って、アルファベットに変えたんです。でもずっと個人事業主のままやっています。