「11年前はどん底だった」と話すのはライフスタイルプロデューサーとして活動し、会社を立ち上げた村上萌さん。学生時代にはミス成蹊大学グランプリを獲得、華々しい活動をするも、就職活動に失敗しそのまま卒業。ニートになった村上さんが起こした行動とは──。当時の苦悩と、現在の仕事について伺いました(全3回中の1回)。

大学卒業後は「実家でパジャマのままで…」

── ライフスタイルプロデューサーとしての仕事内容を教えてください。

 

村上さん:
会社を設立して11年目になります。起業して1年後にNEXTWEEKENDというコミュニティメディアを立ち上げ、イベントや商品などさまざまなプロデュース活動をしてきました。

 

長年お付き合いしているクライアントの方もいますし、夫の都倉賢はプロサッカー選手で現在、V・ファーレン長崎に所属しているのですが、仕事の都合で引っ越しが多いので、その土地でお話をいただくことも多いです。

 

今住んでいる長崎でもいくつか仕事をさせていただいていますが、例えば県庁水産部との取り組みでは「長崎の魚が美味しい」ということをいかに楽しく伝えていけるかを、NEXTWEEKENDの企画に変えています。「長崎カルパッチョ」という造語を作って、旬の魚と季節のフルーツやハーブを使った長崎ならではの食べ方を提案しました。

 

NEXTWEEKENDは基本的にはクライアントワークが柱になっていますが、ベースにはいつも「季節の楽しみと小さな工夫で理想の生活を叶える」という考えがあります。

現在は長崎に住んでいる村上さんとお子さん

── なぜ起業しようと思ったのですか。

 

村上さん:
学生時代の就職活動では、希望の業種を決める必要があると思うのですが、私は働くジャンルにとらわれず「こういうものが欲しいと思ったときに提案する人になりたい」と思っていたんです。在学中に、テレビ局でリポーターとして出演していたこともあったのですが、自分のしたいことを何かの仕事に当てはめることが難しくて。

ミス成蹊大学グランプリを獲得した学生時代の村上さん

「まずは就職したほうがいい」と言われて就職活動もしたんですが、ちょうどリーマンショックの影響を受けた時期で、採用をしない会社もありましたし、採用試験を受けても最終面接の前に「今回の新卒採用は中止することになりました」と電話がかかってきたことも2回ほどありました。

 

インターンをしていた会社からは内定をいただけたのですが、当時の私はいつも目の前の正解を探してしまうところがあり、結果的に1年後にここにいる自分が想像できずに辞退して卒業してしまって。しばらくニートでした。

 

当時流行っていたSNSのmixiで、同級生が就職してどこに配属になったとかを報告するのを見たときは「だいぶ遠いところに来ちゃったな」と思っていました。私は実家でパジャマのままでそれを見ていて。

 

── ご家族の反応はいかがでしたか。

 

村上さん:
「半年間は家にいていいから、その間に新卒で就職するような固定給がつくれなければ、家を出ていきなさい」と言われました。期限を決めてもらったのが良かったのですが、それまでになんとかしなきゃと思って動き出しました。父はジャズバーのマスターから40代で起業して、海外に広告代理店を作ったので、そういう意味では理解も期待もあったんだと思います。

学生時代の村上さん