フジテレビアナウンサーとして数々のスポーツ番組やバラエティで活躍した後、フリーへ転身した本田朋子さん。現在は、夫でプロバスケットボール選手の五十嵐圭さんの移籍に伴い家族の拠点を群馬に移し、仕事と家庭の両立に勤しむ日々を送っています。
本田さんのデビューのきっかけとなったのは、大学時代のミスコンと、あるオーディション。自分を表現するうえで当時の本田さんが大切にしていたことについてお話を伺いました。
「なんでもやってみたい」好奇心に溢れた子ども時代
── アナウンサーとして活躍されている本田さんですが、子どもの頃から人前に出るお仕事に興味があったのでしょうか?
本田さん:私は愛媛で生まれ育ったのですが、地元で過ごしていた頃はアナウンサーになるなんて考えてもみなかったです。共働きの両親と二人の姉。そんな家族構成の中で “奔放な末っ子”として自由に育ててもらいました。
今に通じていることがあるとするなら、好奇心の強さでしょうか。なんでもやってみたい性格で、歯列矯正も学習塾に通うのも、みずから「やりたい」と名乗り出たそうです(笑)。
ひとつのことを極める職人タイプではなく、思いついたことを思い立ったが吉日でやってしまうタイプ。それは今でも変わりません。
── そんな本田さんの関心がテレビやアナウンサーというお仕事に向いたのはいつ頃だったのでしょう?
本田さん:学生時代を地方で過ごしたので、テレビに出るなんてことは、どこか夢物語のような感覚でした。毎朝『めざましテレビ』を見て育ったので、漠然とした憧れのようなものはあったのかもしれませんが、「自分もアナウンサーに!」という考えはありませんでした。
大学入学を機に上京をし、そこでひょんなことからミスコンに出ることになって、事務所の方に声をかけてもらったんです。
「目立つこと」より「目の前のこと」を
── ミスコン出場も立候補ではなかったのですね。
本田さん:サークルの先輩がミスコンの実行委員で「出場者の人数がたりないから出てくれない?」って誘われて、友達と一緒にお手伝いする感覚で出場したんです。
「いちばんになりたい」という欲もなかったので、これといった自己アピールができたわけでもなく…。「とにかく、この場を盛り上げないと!」という気持ちでした。
── そんな裏話があったのですね。しかし、このミスコンで本田さんは「ミス立教」に選ばれ、アナウンサー事務所からお声がかかることに。そういった意味合いでは人生を変えた出来事でもありますよね。
本田さん:そうですね。人生の起点になったという意味ではとても大きかったと思います。ただ、運が良かった。当時も今もそうとしか思っていない自分がいます。強いて言うなら、欲が無かったことによって、その場を思う存分に楽しめたことがよかったのかな?と思ったりしています。
── その後、大学生キャスターとして人気スポーツ番組『すぽると!』のMCへ。ミスコンに引き続きそのオーディションも見事突破されたわけですが、「自分を表現すること」において本田さんが大切にしていたことがあれば教えてください。
本田さん:当時の私は、地方から出てきたばかりの大学生。オーディションのときも、テレビや芸能界のことも何もわからないままにとにかく手渡された原稿を必死に読むといった感じで…。だけど、前に出たからといっていちばんになれるわけじゃない。そんな気持ちを持っていました。
それよりも、自分らしく正直に懸命に臨むこと。自分にはそれしかできないと思っていたんです。
── 人前に出ることには、周囲の目に自分がどう映るかといった大きなプレッシャーもあるかと思うのですが、そういったことへの戸惑いや不安はなかったのでしょうか?
本田さん:もちろんありました。でも、ミスコンとオーディションを経て、「その場を楽しむことの大切さ」も同時に痛感していました。
周囲の目を気にして自分をよく見せようと思うと、目の前が霞んでしまう。だったら、失敗をしても、今やるべきことを一生懸命やろう。そんな気持ちで挑んでいました。
背伸びをしない、欲を出さない。そんなところが当時の時代に合っていたのかもしれないけれど、それも狙ったわけじゃない。それがそのときの私ができた全部だったんです。
大学生キャスターとして異例のデビューへ
── 目の前のことに集中することで、プレッシャーや他者からの評価に打ち勝つこと。本田さんのひたむきな人柄が伝わるエピソードですね。そして、いよいよテレビの世界へ。最初にスタジオに立ったときの心境はどんなものでしたか。
本田さん:とても緊張しました。大学二年生から一年間、『すぽると!』の金曜キャスターとしてMCをやらせてもらったのですが、ただただがむしゃらに毎回の放送を走り抜けていたという感じでした。でも、この一年があったからこそ、自分の夢は明確なものになったのだと思っています。当時ご一緒していた三宅正弘アナや内田恭子アナなど大先輩方の後ろ姿を見ながら、いろんなことを学ばせてもらいました。
── 将来へのビジョンが固まった、貴重な一年だったのですね。
本田さん:アナウンサーという職業、テレビ局という会社、ひとつの番組がどんな風に作られていて、どれだけの人が携わっているか。そういった現場を間近でみさせてもらって初めて、はっきりと「アナウンサーになりたい」と思ったんです。
テレビに出るだけじゃなく、ハードスケジュールの合間を塗って勉強をして、日帰りでスポーツのキャンプ取材をし、そのほんの一部をオンエアに出すか、出さないか。そういった地道な仕事の積み重ねこそがアナウンサーという職業なんだということを実感した、人生における大切な一年でした。
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PROFILE 本田朋子さん
1983年、愛媛県生まれ。立教大学在学中に『すぽると!』の大学生キャスターとしてデビュー。2006年よりフジテレビ入社。2013年にプロバスケットボール選手五十嵐圭さんと結婚後、フリーへ転身。
取材・文/丘田ミイ子