「年を重ねたらうまくいく」。そう信じて芸能活動を続けた橋本マナミさん。自身の方向性を模索し、2013年、29歳でブレイクするまで、さまざまなレッスンに通い、グラビアでも新たな挑戦を。そんな彼女の支えてくれたものとは?不遇な時期に心の糧となった貴重な経験を聞かせてくれました。
女優を目指し、登竜門としてグラビアに挑戦
── 女優業に憧れて「国民的美少女コンテスト」を受け、それを機に13歳で芸能界入りされたとうかがいました。橋本さんの芸能活動を振り返って、これまでどんなストーリーがあったのでしょうか?
橋本さん:私は山形県で生まれ育ったのですが、山形の控えめな県民性もあってか、芸能活動を始めたころは、なかなか自分を表現する方法が分からなくて。
周囲の女の子たちにも圧倒されながらも、「どうにか私も頑張りたい!」と思っていました。でも空回りをして、なかなかうまくいかなかったんです。
事務所からも、「女優志望ではあるけれど、お芝居は勉強してからじゃないか」と言われ、役者も、歌手も、モデルも違う…という話に。当時、若いタレントにとって芸能界で活躍するためにグラビアが登竜門的存在で、私もその方向性でいくことになりました。
ですが、太陽の下で、水着を着て元気に笑って…ということが、うまくできなくて。芸能界での夢はふくらむけれど、どうしたらいいか分からない…そんな葛藤を抱えた10代でしたね。
── 20代に入ってからは、どんな気持ちの変化があったのでしょうか?
橋本さん:どうにか前に進みたいと思い、自分のダメなところを補うために、いくつも習い事をしました。お芝居のレッスンに通ったり、コミュニケーション力を伸ばすためにアナウンサースクールに行ったり、文章を書くレッスンにも行きましたね。
お仕事をいただけるようになったのは29歳。それまでは不遇な時代が続いたんですけど、自分の力になる良い出会いや経験はたくさんありました。
芝居で泣けず、反省会で泣く日々
── その「良い出会いや経験」とは、どういうものだったんですか?
橋本さん:22歳のときに『シオンの桜』という初舞台を初主演でやらせていただいたんです。戦争・恋愛もので、泣くシーンがたくさんある作品だったんですが、まだ恋愛経験も少なく、役の気持ちが分からなかったんです。
稽古中も、演出家の方に「ここはこういう気持ちで!」「何で泣けないの?」と言われるんですが、うまくできず、稽古帰りにファミレスで反省会をしては泣いていましたね(苦笑)。
けれど、舞台が開幕してから自分のなかに自然と感情が入るような経験をしたんです。お客さんも上演中に口コミで増えていき、最終日は満席に。そんな経験をして、「お芝居ってすごく楽しい」「この仕事がやりたい」と思うことができました。
19歳のときに、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(03年)に千姫役で出させていただいたんです。主演の市川海老蔵さん(※当時は市川新之助)をはじめ、出演者の皆さんがリハーサルから熱の入ったお芝居を見て、「また、“大河”の現場に戻ってきたい」と思いました。
そこから日本舞踊を始め、着付けの勉強もして、『真田丸』(16年)でその夢が叶ったんです。
こうした仕事での出会いや経験があったからこそ、仕事がなかった10代、20代半ばも芸能活動を「辞めない」と思っていました。
それと、私は外見が大人っぽいけれど、内面はまだまだで…そのバランスがうまく取れていないことがコンプレックスだったんです。
でも、ご一緒したスタッフの方々から、「大器晩成型だよ」と言ってもらえることもあって、諦めずに頑張ろうと思えた要因かもしれません。「私は年を重ねたらいい方向になっていくんだ」と信じていました。
苦手だったグラビアでつかんだ手応え
── そんな橋本さんを、ご家族はどんなふうに見守ってくれていたんですか?
橋本さん:「あなたがやりたいようにやりな。でも何かあったら戻ってきてもいいよ」と言ってくれていました。仕事に関してあまり言ってくることはなかったので、それは助かりましたね。
でも、26歳で事務所を移籍して、それまでの清純派から、いきなりセクシーなグラビアをやり始めたんです。そのときだけは母から「どこに向かってるの?」と怒られました。「でも私にはこれしかないの!」と言って…。
── 26歳での事務所移籍は、ご自身の大きな転機ですよね。
橋本さん:そうですね。20代後半になり、仕事も入りづらくなっていって「もう後がない」と思いました。だから、私にはグラビアしかないのかなとも感じて…。それまで、グラビアは苦手で、肌の露出もできれば避けたかったんですが、追い込まれていたので、露出はどうでもよくなって(苦笑)。
「“私”の何かが伝わればいい」と思って、手拭い一枚を持ってグラビアに臨んだんです。その思いが伝わったからなのか、読者の方からの大きな反響をいただいたんですよね。
そこからグラビアの撮り下ろしが続いて。うれしかったです。「もっともっと頑張りたい」とやっていたら、どんどんセクシーなほうにいっちゃって(苦笑)。
けれど、そうしたことで表現の幅も広がりました。グラビアに関しては、何かをよく見せようとすることってあんまりいいことじゃないというか…全部捨てたときに何かが残るんだなと感じましたね。
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PROFILE 橋本マナミさん
1984年山形生まれ。グラビアが話題となり、以後、女優業をはじめ、バラエティ、ゴルフ、競馬などの番組でマルチに活躍。2019年に結婚、20年に第1子を出産。今年1月からBSテレ東「婚活探偵」に出演。
取材・文/小松加奈 撮影/河内彩