主役の座は時間の流れとともに

思えば、義母は「家庭に主婦が自分ひとりしか居ない」という状況しか経験せずに老年期を迎えた人でした。

 

義父と結婚した時にはすでに舅姑は亡くなっており、自分の母親も早くに亡くしています。子どもは夫とその兄の二人兄弟で、どちらもあまり口答えしないおっとりとした性格です。

 

つまり、60年以上の長きにわたり、義母は持ち前の圧の強さとパワフルな明るさで、押しも押されぬ家庭の主役であり続けたのでした。

 

義母に悪気はないのは、一緒に暮らす私にはよくわかっています。悪気なく、ナチュラルに、天真爛漫に、自分中心に宇宙(家庭)が回っていると思っているだけなのです。そして私がいつもそんな義母の圧に負け、家庭の脇役に甘んじているストレスが、私自身をいつの間にか蝕んでいたのです。

 

私はやっと理解しました。これは戦(いくさ)だと。主役の座をわが手に取り返さなければならないのだと。

 

いや、家族の中には本来、脇役などありません。我が家の場合、6人全員が主役でなければおかしいのです。義母も主役でいい。でも私も、自分から主役の座を獲りにいかねばならないのです。

 

それからというもの、私は同居嫁の遠慮を少しずつ取り払い、言いたいことはなるべくずけずけと言うように心がけました。

 

義母は義母で、最近では義父に「もう家のいろんなことの決定権は、若い人たちにあるんだから口出ししないの」などと言うようになってきました。私の様子に思うところがあったのか、それとも加齢に伴いさすがにパワーダウンしてきたのか少しだけさみしいような気もしてしまいます。

 

私自身、年を重ねてもし将来義母と同じ立場になった時、すんなりと若い世代に、家庭のさまざまなことを譲ることができるだろうか?それはもしかして、今、まだ若い私が思うよりも、ずっと難しいことなのかもしれません。

 

歳月を経て少しずつ主役の貫禄を身に着けつつある私は、今なら悪びれることなく義母に言えます。

 

「今ちょっと友達と話したいので、お義母さんは席を外してもらえます?」と。


それから友達が帰ったら、主婦二人でゆっくりお茶でも飲むことにしよう、と思います。

 

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文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ