日曜劇場『VIVANT』のリアルな食卓を支え、「日本一忙しいフードコーディネーター」と呼ばれるはらゆうこさん。公務員から転身後、スタジオ泊まり込みの過酷な激務により、一度は現場を離れる挫折を味わいました。離婚、再婚、40歳での出産を経て、「子どもができたら無理」と思い込んでいた仕事をどう続けてきたのか。迷いを乗り越えた歩みを聞きました。
料理の仕事をしたいと話すと「家庭科の先生でいいだろ」

── 話題のドラマ『VIVANT』や『じゃあ、あんたが作ってみろよ』など、数々の作品で料理制作を担当し、「日本一忙しいフードコーディネーター」と呼ばれるはらさんですが、もともとは公務員だったそうですね。
はらさん:母が公務員で、父や叔父、叔母は教員という堅い環境で育ちました。農家だった祖父母も「公務員は安定していて一番いい」と言っていたので、私も「自分も先生か公務員になるのかな」とはなんとなく思っていたんです。
ただ、子どものころから料理が好きでした。偏食だった弟が、私の作った料理なら食べてくれて。「誰かに喜んでもらえるのが嬉しい」という原体験があったので、あるとき家族に「料理の仕事をしたい」と相談したんです。そうしたら父から「じゃあ家庭科の先生でいいだろ」と言われて。家庭科の教員免許を取って採用試験を受けたのですが落ちてしまい、その後、公務員試験を受けて地元の役場に就職しました。
── お父さんは、教員以外で料理に関わる仕事に就くことに、反対だったのでしょうか?
はらさん:すごく昭和気質な父だったんです。「女性は家族のために料理を作るものだ」という価値観がありましたし、「本気で料理の道を志すなら、若いうちから住み込みで修行するものだ。お前にそんな覚悟はあるのか」と言われ、当時の私は怖気づいたところもありました。
── ところが、8年間勤めた公務員を辞める決断をされます。
はらさん:職場の居心地はよかったんです。でも、自分のなかにどうしても目標が持てなくて。「このまま定年まで働き続けて、私の人生に何が残るんだろう」という疑問がずっと消えなかった。仕事を通じ「誰かに喜んでもらえている」という実感が、うまく持てなかったんですね。
そこで「30歳までには辞めて新しい道に進もう」と決め、役場で働きながら週1回、赤堀料理学園のスクールに通いました。両親に事前に話すと大騒ぎになるので、先に職場へ退職の意思を伝えたんです。ただ、知り合いを通じて噂が伝わってしまって(笑)。最後は「もう決めたので」と押しきりました。
週1回しか帰れない生活に、夫から「いつまで続ける?」
── 退職後は、赤堀料理学園の校長で、料理研究家・フードコーディネーターの赤堀博美さんのアシスタントに。生活は一変したのではないでしょうか。
はらさん:始発で家を出て、終電で帰るような毎日でした。初めて経験する仕事ばかりで要領もわからず、何をするにも時間もかかって、とにかく必死でしたね。
家に帰る時間すら惜しくて、先生のスタジオに泊まり込んだり、撮影が続くとテレビ局のスタジオに申請して泊めていただいたり。自宅に帰るのは週1回あるかないかという生活でした。そんなある日、当時の夫から「…この生活、いつまで続けるの?」と聞かれてしまったんです。
── 旦那さんからそう切り出されたとき、どう受け止めましたか?
はらさん:夫は、私が公務員を辞めるときも理解してくれた人でした。だから、どこかで「私のわがままは最後まで通る」と思っていたんですよね。
夫には「家族としてこう暮らしたい」という当たり前の願いがありました。一方で、私は当時「子どもができたら、この仕事は全部諦めなければいけない」と思っていたんです。だからこそ「今、辞めるわけには行かない」と。「今ここでやり抜きたい自分」と「家庭での暮らしを大切にしたい夫」の間で温度差が生まれ、そこから毎日のように話し合いが続きました。
── それでも、一度は仕事を離れる決断をされます。
はらさん:夫から「身体のことも考えたら、このペースでいつまで働けると思う?」と言われたとき、胸に刺さるものがあったんです。「たしかに、立ち止まって考える必要はあるな」と。
「ここで現場を離れたら、二度とフードコーディネーターには戻れないかもしれない」という恐怖はありました。でも、それまでずっと後回しにして負担をかけてきた家庭と向き合い、結婚生活を大切にしてみようと決めたんです。
── 現場を離れて家庭に入ってみて、いかがでしたか。
はらさん:当時はまだ子どもがいなかったので、家事は2、3時間もあれば終わってしまうんです。腕を振るって料理をたくさん作りたくても、食べてくれるのは夫ひとりだけ。力を持て余してしまいました。そこで「無茶な働き方は絶対にしないから」と夫と約束し、飲食店でアルバイトを始めたんです。
── そこから、どのようにして再びフードコーディネーターの道へ戻られたのでしょうか。
はらさん:飲食店の仕事も楽しかったのですが、テレビを見ていて赤堀先生の名前がスタッフロールに流れると「この仕事は先生と(アシスタントの)誰々がやっているんだろうな」と思いを馳せる自分がいました。やっぱり、心のどこかで「またあの世界に戻りたい」と思っていたんですね。
そうして1年ほど経ったころ、アシスタント時代にご縁のあった制作スタッフの方から「2時間ドラマの料理を単発で担当してくれないか」と直接声をかけていただいたんです。先生の確認なしでひとりで現場を仕切る不安はもちろんありましたが、スタジオの空気を肌で感じた瞬間、「またここに戻ってこられた」という喜びが勝りました。やってみたら、やっぱりこの仕事がたまらなく楽しかったんです。