「自分の体に何が起きているのか」。筆箱大の血塊が出ても更年期と片づけられ、悔しさを抱えて病院を迷走した1年7か月。不妊治療の断念や強い痛みに耐えた末に判明したのは、卵巣がんステージ2でした。納得のいく診察を受けられなかった苦い体験から、さくらさんが今「自分の体は自分で守る」と強く訴える理由とは。
「これは異常だと」婦人科に駆け込むも…

── 29歳でひとり目の旦那さんを急性骨髄性白血病で亡くされたさくらさん。2015年、38歳のときに再婚をされていますが、42歳でご自身のがんが見つかったそうですね。最初に体の異変を感じたのはいつだったのでしょうか。
さくらさん:2017年1月に最初の不正出血がありました。当時、子宮筋腫があったので、がんとどちらが原因だったのかはわからないのですが…。生理のときに、いきなり筆箱サイズの塊がにゅるんと出て。急いでトイレに行って、いちばん大きな42cmのナプキンをつけたんです。その後すぐに鮮血がドバーッと出て。その後もまた塊が…。普段から生理が重いタイプなんですが、「これは異常だ」と。次の日に近所の婦人科に行きました。
当時、パニック障害を抱えていたこともあってか、医師からは「更年期や自律神経が乱れている人は不正出血が起きやすい」と軽くあしらわれてしまって。私も「じゃあ、大丈夫なんだ」と思い込んでしまったんです。生理については周りの人とあまり話すこともないので、「女性はみんな同じようにつらい思いをしているんだ」と納得してしまって。その後も年に数回、同じ症状がありましたが、毎回ではなかったので、あまり気に留めなくなったんです。
── そこからどのような変化があったのですか?
さくらさん:ひとり目の夫のときは、夫の病気で子どもを諦めたのですが、ずっと子どもが欲しかったんです。そこで再婚後の2017年の9月から、不妊治療の顕微授精をはじめました。1回目はうまくいかなかったので、2回目のための検査をしたんです。すると「左側だけ卵巣が5cm腫れている」と言われて。不正出血のこともあったので、いったん不妊治療をストップし、検査をしてもらえるようにお願いしました。MRIと腫瘍マーカーをとったのですが、「90%良性の腫瘍だと思います」と言われたんです。
他にもいくつかの病院で検査をしてもらい、結果はどこも「良性の腫瘍」。でも腫瘍の名前が違いました。さらに腫瘍マーカーの数値もどんどん上がっていって。良性だとは思えず「卵巣がんかもしれない」と思うように。名医と呼ばれる医師を見つけて、わらにもすがる思いで行ったのですが、「君はもうこれだけ検査しているんだから、4か月待ち。更年期でしょ」と言われてしまいました。それでも諦めきれず、さらにいくつかの婦人科にも行きましたが、結果は同じでした。次第に下腹部のチクチクした痛みも出てきていました。
── 自分では「がんかもしれない」と思っているのに、あしらわれてしまう状況はつらいですね…。
さくらさん:そうですね。でも、がんと診断されないなら、と下腹部の痛みは夫に内緒にして、不妊治療を再開しました。状態のいい受精卵があったのでいったん戻したのですが、私の体調が悪いのでうまくいかないんですよね。卵巣がまた大きくなっていることがわかって、腫瘍マーカーの数値もさらに上がっていて。どうしようと焦っても、検査してもらえないと思ったら、何もする気が起きなくなってしまって。最後にもう一度だけ受精卵を戻したのですが、それがダメだったので力尽きてしまいました。
卵巣がんだと思っていたのに告知は「子宮体がん」
── 最終的に、どのようにしてがんが見つかったのでしょうか。
さくらさん:体調がどんどん悪くなって、下腹部の痛みだけではなく便秘や排尿痛、排便痛、腰痛もありました。それで、そんな状態のまま春ごろに風邪をひいて、近所の内科に行ったんです。
診てくれたのはおじいちゃん先生だったのですが、「今起きている体の症状を全部言ってごらん」と詳しく話を聞いてくれて。「僕の出た大学病院に紹介状を書くから、検査してもらおうね」と言ってくれたんです。
すでに何度も足を運んでいた大学病院だったのですが、先生が紹介状を書いてくれたおかげで、3か月ほどかけて、胃や大腸の検査などさまざまな検査をしてもらいました。そこで、最後に子宮体がんの検査をしたらがんが見つかり「子宮体がん」と告知されました。
── ご自身が思われていた卵巣がんではなかったんですね。
さくらさん:卵巣がんは、手術をして卵巣の組織を取らないと確定診断がつかないんです。なので、最初は卵巣がんかはわからなかったんですよね。
── 告知されたときのことは覚えていらっしゃいますか。
さくらさん:告知のときは、私ひとりだったのですが「子宮体がん」の告知に頭が真っ白になって。ノートにメモしようと日付と先生の名前は書いていたのですが、ほかは何も書けませんでした。そのときの記憶も飛んでしまっていて、何を言われたか、どうやって家まで帰ったかも覚えていません。
── 旦那さんにはどう伝えられたんですか?
さくらさん:その日、夫がいつも通り残業して帰ってきたら、部屋の電気がついてなかったらしいんです。電気をつけることすら忘れていたんだと思います。
それで、夫が話を聞いてくれたのですが、落ち込むあまり説明ができず、「何を言っているのかわからない」と言われて。「明日先生にもう一度話を聞きにいこう」と、次の日、改めて夫とふたりで話を聞きに行きました。
先生も冊子を用意してきちんと時間をかけて説明をしてくれて、「わからないことがあったら、また聞いてね」と言ってもらえたんですね。もちろんそのときはわからないことだらけでしたけど、それでも、これだけ寄り添ってもらえたら十分ですと、前向きな気持ちになれました。
── その後、肺がんも見つかるんですよね。
さくらさん:がんが見つかった子宮と腫瘍があった卵巣を摘出する手術の前に、転移があるかどうかの検査をするんですが、そのときに肺にもがんが見つかってしまったんです。「この肺がんの場合は、生検をしなくてもわかりそうだから、呼吸器の先生にお任せしましょう、そんなに心配しないで」と言われたのですが、心配ですよね。「転移していて、もう死ぬのかな」と思いましたし、健康診断も毎年受けていたのに…と悔しい思いでいっぱいでした。
結局、手術をして組織を調べた結果、子宮体がんが原発ではなく、卵巣がんが原発のステージ2だとわかりました。肺がんは転移ではなく、肺に単体でできたものでした。それで、肺を診てくれていた先生からは「おめでとう」と言われたんです。「肺はがんじゃなかったのかな?」と一瞬期待したんですが、「進行が遅いタイプのがんで、いつかは手術しなきゃいけないけれど、そうなるのは、もしかしたらその卵巣に寿命が耐えてからなのかもしれません」とはっきり言われて(笑)。
── そんなにダイレクトに言われるんですね。
さくらさん:そう、とても丁寧な口調ではあったのですが、びっくりしました。肺がんは卵巣がんと同じ抗がん剤が効くものだったので、ラッキーだったというか。それもあって「おめでとう」だったのかなと、今ではわかります。
── 抗がん剤治療をはじめるにあたっては、抵抗感があったそうですね。
さくらさん:髪が抜けることは気にならなかったのですが…。ひとり目の夫や周囲の患者さんたちが白血病で闘病していた当時は、今とは違って薬が強く、副作用に対する薬も種類が少なかったようで、抗がん剤に苦しむ姿を身近で見ていました。体力がない中高年の方で治療をはじめてすぐ亡くなってしまう方もいて。だから当時は、「もし自分が同じ病気になったら逃げようかな」って本気で思っていたんですね。その経験もあったので、自分も抗がん剤で死んでしまうかもしれないけど、どうしようかなと考えてしまって。
すると先生が「今はいい吐き気止めも出ているし、あなたが見てきたり、考えていたりするものとは全然違うよ」と説明してくださって。それで、踏んぎりがついて、2018年の9月から、3週間に1回、6クールの抗がん剤治療を受けました。