29歳で1人目の夫を看取ったさくらさん。再婚後に自身ががんに罹患した後、2人目の夫もがんで「余命10か月」の宣告を受けます。絶望の中で夫が口にした「死ぬのが怖いかわからない」という言葉。自身の闘病経験から「頑張りすぎない看病」へ辿り着いた彼女が、最期のクリスマスにアルバムをめくりながら交わした絆を追います。
自身のがん発覚から2年、夫に突然の余命宣告

── 24歳で結婚するも、2年後に元夫が急性骨髄性白血病に。闘病の末、さくらさんが29歳のときに亡くなられました。当時は「もう結婚はしない」と思われていたそうですが、ふたり目の旦那さんとは、どのように出会われたのでしょうか?
さくらさん:ひとり目の夫が亡くなった後、「ひとりでもしっかり生きていかなければ」と営業の仕事について、夜遅くまでがむしゃらに働きました。ところが、34歳のときに、いくつかの原因が重なってパニック障害を発症してしまい、電話を取る仕事ができなくなってしまったんです。正社員で仕事をすることが難しくなり、次第にひとりで過ごすことも不安でつらくなってしまって…。
39歳になる年に、婚活をしようと決意して、婚活会社でのアルバイトを始めました。その会社が「働く人もお見合い相手を見つけていい」というルールだったんです。夫と出会ったときに「あ!この人だ」と直感で思いました。
理系で、知性を隠しているようなタイプ。話し方も温和で、お兄ちゃんみたいだなという印象でした。そこから1週間ほどでおつき合いして、さらに翌週には彼のご両親にお会いして、その日のうちにプロポーズをされて、とトントン拍子に進み、2015年に結婚しました。
── しかし、ふたり目の旦那さんにもがんが発覚します。何がきっかけで見つかったのですか?
さくらさん:会社の健康診断で、肺のレントゲンで引っかかったんです。大学病院に精密検査に行ったのですが、そのときは「肺に問題はなかった」と帰ってきたんです。
ところが「買い物にでも行こうか」と夫の運転で出かけた直後、大学病院から電話がかかってきました。それも、脳外科の医師からだったんです。夫が運転中だったので、私が電話に出たのですが、嫌な予感はしていました。話を聞くと「肺は大丈夫でしたが、脊髄内にできものがあり、深く調べていきたいのでまた明日来てください」と言われて。その日はどこにも行く気をなくして、そのまま家に帰りました。
翌日、病院に行くと、脊髄内の腫瘍について「程度の軽いものから重いものまで、6つほど可能性が考えられる」と話をされました。即入院となり、何日かかけて検査を行いました。その後、医師から告げられたのは、とても衝撃的な言葉でした。
「まだ症状が出ていなくて信じられないかもしれませんが、『脊髄原発悪性黒色腫』です。皮膚がんの一種、悪性黒色腫のメラノーマが脊髄にできていて、腰から上に播種が出て、遠隔転移しています」と。最初に提示された6つの可能性のなかで、一番重いものでした。手術はできず、治療しても余命10か月。すぐに歩けなくなりますとも言われました。結婚から5年後、2020年10月のことです。
── 突然の余命宣告は、さぞかし動揺されたのではと思います…。
さくらさん:夫が開口一番に聞いたことは「仕事はどうしたらいいですか?」でした。「それが一番最初に聞くこと?」と正直思いましたが、冷静ではいられなかったのかもしれません。
逆に私は、今思えば妙に冷静でした。メラノーマ自体が希少がんなのに、さらに稀なところにできていると思って「この病院で症例はありますか?」と尋ねました。そうしたら「ないです」と。知人に医療関係者と繋がりがある人がいたので、その人たちに依頼して症例がある病院を探そうと思い、紹介状とデータをいただいて帰りました。
── さくらさんは、ひとり目の旦那さんを急性骨髄性白血病で亡くし、再婚後にはご自身も卵巣がん、肺がんを患いました。冷静でいられたのは、そうした経験があったからですか?
さくらさん:そうですね。自分が通った道だから自然に質問できたのかもしれません。「どれだけ生きられるか」「どんな治療ができるのか」「どこの病院に行くのが一番いいのか」は最初に聞いておかないと、時間のロスになってしまうので。
── 余命宣告について、旦那さんはどのように受け止められていたのでしょうか。
さくらさん:それが、うちの夫はちょっと変わっていて。「人間はいつか死ぬよね。でも僕は死んだことがないから、死ぬのが怖いかどうかなんてわからないよ」と言ったんです。
── それは、新しい発想ですね…。
さくらさん:そうなんですよ。その考え方に驚いたのですが、「だって、帰りに交通事故に遭ったら死ぬかもしれないし」とも言っていて。それはそうか、と。その姿勢に「腹を括っているのがかっこいいな。この人、最強だな」と思ったし、ありがたくもあったんですよね。精神的に揺らいでいたら、私もその後、動きづらかったと思うので。
よさそうな病院を探して遠方にも足を運んでみましたが、結局、治療は難しくて。この病気を扱える自宅近くの大学病院を紹介してもらいました。ただその3か月ほどの間に、もう夫の足が動かなくなっていて。病状の悪化のスピードに、本当に驚きました。
がんを罹患した自分だからわかる看護の距離感
── ご自宅で看病をされていたそうですが、ご自身が患者になった経験を経て、ふたり目の旦那さんを看病するときには、どんなことを意識されていましたか?
さくらさん:ひとり目の夫のときは、つきっきりで何から何までやりすぎたんです。頑張りすぎた結果、私自身も体調を崩してしまいました。
でも、再婚後、私自身もがん患者の立場になったことで、周囲に放っておいてほしいこともあると気づきました。ここぞというとき以外は、家族が自由に楽しそうにしてくれていたら、自分も気が楽なんですよね。なので、自分が看病してもらうときには、やってほしいこともやってほしくないことも細かく伝えていました。
たとえば「今日は体調が大丈夫そうだから、ゴルフの打ちっぱなしに行ってきていいよ。でも帰りにアイスを買ってきてほしいな」と。きちんと伝えないと、看病するほうはどうしてあげたらいいか、やっぱりわからないじゃないですか。
ふたり目の夫のときは、自分から先回りして何かをしようとせず、なるべく口出しもしないことを心がけました。それでも、コロナ禍だったし、足がまったく動かなくなってしまったので、ワンオペの在宅介護だとやらざるを得ない部分はすごく多かったのですが、できるだけ好きなようにしてもらっていましたね。
── 家族が病気になったときに、普段の会話のなかでどこまで病気のことに触れていいのか、迷うこともあると思います。看病をするときの会話などにも、変化があったのでしょうか。
さくらさん:最初の夫のときは、話はするけど、どこか腫れ物に触るような気持ちがあって、病気から気を逸らすための会話だったんです。そして、きっと見透かされていただろうなとも思います。
ふたり目の夫のときは、私の闘病生活を見てもらっていたこともあったので、本当になんでも話していました。抗がん剤の種類が違うので、もちろん副作用もまったく同じではないのですが、「気持ち悪くはないの?」と聞いたら「気持ち悪さはない」と言われて。少し悔しいなと思いながらも、「私はできなかったけど、仕事できるんだね」とか、そういう会話ができるようになりました。
自分が看病していて体調がしんどいときでも我慢しなきゃ、というプレッシャーもなかったですし、お互いに「今はちょっと無理だから、少し待っていて」ということを伝えられてもいました。
検査の前日に夫がイライラしていても、「前日はドキドキしたりイライラしたりするよね」と理解できるので、当たられても気にしませんでしたね。