「5%に賭ける」過酷な闘病生活と泊まり込みの看病

── そこから旦那さんは、骨髄移植をされるんですよね。

 

さくらさん:義兄から骨髄移植をしてもらい、一度は寛解して自宅療養になりました。「少しの菌でも感染すれば命に関わる」と説明を受けていたので、感染症を避けるために、食事にも掃除にも細心の注意を払いました。コロナ禍よりもずっと気を張って生活していたように思います。

 

ところが精巣に再発が見つかり手術で摘出。その後、骨髄でも再発。「再び骨髄移植ができたとしても、寛解する確率は5%」と医師に言われましたが、本人の希望で「5%でも可能性があるなら賭けよう」と、2回目の骨髄移植を決めました。当時は骨髄バンクでドナーが見つかるまで待たなければならなかったのですが、運よくすぐにドナーが見つかり、骨髄移植にたどり着きました。

 

そのとき、夫の体はすでに痩せ細っていて「進行が早く、もう長くないのでは」と感じていました。本人もおそらく、それをわかっていたんだと思います。主治医に対し「希望は持っていないけど、そのままよりはいいかなと思うから骨髄移植をします。でも痛いのは嫌だから、それ以上は治療はしなくていいです」と伝えていました。

 

わずかな可能性に賭けた2回目の骨髄移植でしたが結局、うまくはいきませんでした。1回目よりも炎症反応もひどく、身体中の粘膜が剥がれてしまって。特に、腸の粘膜が剥がれて便として排出されるときは、ものすごい痛みを伴うらしいんです。激痛に悶えながら、夫は私の名前をずっと叫んでいました。「痛い」と言うのが悔しかったのかもしれません。でも、その様子はもう見ていられなくて。

 

当時は数か月、病院に泊まり込んで看病し、おむつ替えなど、身の回りのお世話をしていたのですが、お風呂に入りたくても看護師さんに「あなたがいないと看護師の手がたりなくなります」と言われて。結局、入れたのは週に1度だけでした。

 

── 壮絶ですね…。寝る時間もなかったのではないでしょうか。

 

さくらさん:そうですね。私がいない間に何かあったら困ると思っていましたが、最後のほうは、美容院や自分の病院も行けなくて「誰かに変わってほしい」という気持ちもありました。もうこのころには自分の体力も尽きていたんですよね。責任を感じて、ちょっと頑張りすぎてしまったんだと思います。約2年半の闘病生活を経て、2005年の7月、30歳で夫は亡くなりました。

 

その日は、私が家で休息を取る日だったので、義実家から義父と義母が病院に来ていました。昼過ぎに血圧の低下が見られて病院にすぐに来るように電話が入り、車で駆けつけました。病室に入るとまだ息があり、その後しばらくして、スーッと息を引き取りました。義母が激しくうろたえていたので、私はただ見ているしかありませんでした。

 

私は長い間、ずっと夫のそばで看病させてもらっていて、大きな悔いがないほどたくさん話をしましたし、何度も生きるか死ぬかの瞬間を共にしてきたので、治療中の苦しみを思うと、穏やかに眠るように逝ってくれたことにホッとしたんです。今までありがとう、と。

 

ですが、急にこの先の不安が襲ってきたことも事実です。子どもがいない死別はとても孤独で、この先なんのために生きていけばいいのか、と力が抜けて倒れてしまって。その後は、1年ほど家に閉じこもるような生活を送りました。

 

でも、経済的な不安があったので、自立するためにその後、営業職に就きました。夜11時ごろまで仕事に明け暮れていました。

当時は意味がわからなかった「夫の遺言の真意」

卵巣がん さくら
旦那さんの白血病で子どもを諦め、再発する前に迎え入れた愛犬と

── 当時のつらい心境から解放されるために、仕事に打ち込まれたのでしょうか。旦那さんとの闘病生活のなかで、印象に残っている言葉はありますか?

 

さくらさん:夫は、自分の気持ちや考えをきちんと口に出して伝えてくれる人で、あるとき「好きなように生きていいんだよ」「いい男と必ず再婚するんだよ」と言われたんです。「なんでそんなことを今、言うの?」という気持ちもありましたし、「好きなように生きていい」と言われても、お金も稼がなきゃいけないし好きなようになんて生きられないのに、とそのときは意味がわからなくて。それに、何年も再婚する気になんて全然なれなかったんです。

 

ところが、34歳のときにパニック障害を発症して、電話を取る仕事ができなくなりました。「ひとりで生きていくのがつらいな、誰か一緒にいて安心できる人がいたらいいな」と思ったときに、夫の言葉を思い出しました。「自分がいなくなった後の私の人生まで考えて、あんな言葉をかけてくれていたんだな。彼は大人だったんだな」と、そのときになってようやく気づかされました。あの言葉があったから、負い目を感じることなく次に向かう決心がついたんだと思います。

 

取材・文:竹田りな 写真:さくら