29歳で夫と死別したさくらさん。「寛解率5%」の絶望、職を失う苦境、過酷な泊まり込み看病を経て最愛の人を見送りました。残された彼女を襲ったのはパニック障害。孤独と不安に押し潰されそうなとき、不意に蘇ったのは「いい男と再婚して」という夫の遺言でした。過酷な闘病の果てに知った、亡き夫の「本当の愛」とは。

風邪を長引かせた…と思ったら数か月で緊急入院

卵巣がん さくら
29歳で夫と死別したさくらさん

── SNSで自身の卵巣がんにまつわる情報を発信しているさくらさんですが、これまでふたりの旦那さんもがんで亡くなられているそうですね。ひとり目の旦那さんとの出会いから、伺えますか?

 

さくらさん:友人の紹介でした。金髪にサングラス姿で現れて、最初の印象はそこまでよくなくて。「つき合うことはないかな」と思ったんです。でも、そこから彼の猛アピールが始まって(笑)。「金髪が嫌だな」と伝えれば黒髪に戻すなど、「そこまで?」と思うほど、私のことを尊重し、大切にしてくれました。

 

一緒に過ごす間に、私も彼が周りの人から慕われ、家にいつも友達が集うような兄貴分なんだとわかってきて。「結婚するならこんな人がいいのかな」と、気持ちがすっかり変わっていきました。1年ほどおつき合いし、2001年、私が24歳のときに結婚しました。

 

でも、彼はそんな性格だから、新婚時代も夫の友達が「ただいま〜」と勝手に新居に帰ってくることがしょっちゅうで。夫婦ふたりだけでゆっくり過ごした思い出は、あまり多くないかもしれません。

 

── 周りの方々から愛されている旦那さんだったのですね。しかし、幸せな結婚生活が2年ほど経ったころ、さくらさんが26歳のときに旦那さんの白血病がわかったそうですね。

 

さくらさん:最初は風邪を長引かせたのかと思っていたんです。夫には「病院に行きなよ」とずっと言っていたのですが、当時、私はアパレルの仕事が忙しく、それ以上のサポートをしてあげる余裕がなくて…。夫は極度の病院嫌いだったので、結局「病院、行ったよ」と私に嘘をついていたんですね。

 

そのうち、彼の体にさまざまな症状が現れました。鼻血が大量に出たり、「心臓がバクバクする」と言って、横断歩道を渡りきれなかったり。本人は「貧血だと思う」と言っていたのですが、最終的には観念してみずから病院に向かいました。

 

そうしたら医師に「ここでは診られません」と、専門病院に救急車で運ばれたんです。「あと1日遅かったら、生きていられたかわからなかった」と言われたそうです。そのまま緊急入院して、詳しい検査を受けることになりました。最初の風邪の症状から4、5か月は経っていたと思います。

 

── 風邪だと思ったところから、わずか数か月で緊急入院に…。

 

さくらさん:私が看病を担うことになり、「病院から呼ばれたら、すぐ来られるようにしておいてください」と言われたので、職場に「パートで働かせてもらえないか」と相談しました。すると「仕事との両立は無理でしょ?」と言われてあっさりクビに。夫は義兄の会社で働いていたのですが、国民健康保険だったので傷病手当金などもなく、働けなくなったら収入がなくなってしまう状況だったんです。私も仕事を辞めたら「わが家は無収入になってしまうのか」と不安でした。

 

しかも、夫は病院に行った日に、「急性骨髄性白血病」だと告知されたんです。翌日から抗がん剤治療をすると説明があり、子どもを望むなら告知されたその日に精子凍結するしかなかったのですが、当日は40度の高熱があり無理だったんです。

 

夫の心配はもちろん、子どもがずっと欲しかったので、それもショックで…。義父からは「いつまでこの生活が続くかわからないし、離婚をしても恨まない」と言われました。「看病するつもりでいます」と伝えたのですが、「ふたりで話し合って決めなさい」と言われ、夫にも事実を告げました。

 

夫はひどく動揺しており「病気のことは友達に伝えておいてほしい」と言うのが精一杯。なので、「今後どうしたいかは明日教えてね」と短い会話をして、私は病院を出て、その足で夫の友達の家に向かいました。

 

その友達は、夫が入院中もずっと支えてくれて、家にも頻繁に来てくれていました。後から聞いた話では、私がひとりになることを心配し、夫が頼んだそうです。「夫が死んじゃうかもしれない…」と、私は泣きながら報告をしました。ひとりだと不安に押し潰されそうだったので、誰かがいてくれることが、本当に心強かったです。