「白を選んだからって、なんでみんな黒を捨てるんだろう」。1300年続く名家に生まれ、19歳で雅楽の世界へ飛び込んだ東儀秀樹さん。門前払いされそうになりながらも食らいつき、雅楽もロックも愛し続けてきました。「迷ったら全部やればいい」と語る東儀さんは、なぜそんなに軽やかに人生を楽しめるのか──。
ロックに夢中な高校生に母が「雅楽やってみれば」
── 東儀家は代々雅楽を伝えてきた家ですが、ご両親から「雅楽を継ぎなさい」と言われなかったそうですね。
東儀さん:そもそも親は、僕が雅楽をやりたいと言い出すのを待っていたわけでもないんです。東儀家は母方なので、母が父に嫁いだ時点で、雅楽的な環境ではなくなっていました。父は商社マンで海外勤務が長かったので、雅楽とはかけ離れた海外生活をしていました。
ただ、物心ついた頃から音楽的な感覚には敏感で、一度聞いて覚えたメロディはどんな楽器でもすぐに再現することができました。小学生の頃には前日にテレビで聴いた歌謡曲などを次の日には教室のオルガンで楽譜もないのに再現して弾くことができたし、友達からのリクエストに応えて遊んでいました。「僕は人とは違う、音楽的な何かを持って生まれたのだ」という意識はありました。でも、音楽家になろうとは全然思っていなかったんです。

── そこから、なぜ雅楽へ向かったのでしょう。
東儀さん:中学生でギターを弾くようになり、高校ではバンドをやって、ロックやポップスのミュージシャンに憧れました。高2ごろになって、親もようやく「この子はどうもサラリーマンに向いていないらしい」と気づいたみたいで(笑)。母が「そんなに音楽に向いているのなら、東儀家なのだしやはり雅楽の道に進んだら?」って勧めてきたんです。
── ロックに夢中なら、雅楽を勧められたところで反発しそうな気もしますが。
東儀さん:僕の場合、反発の感情はなかったんです。小さいころの海外生活の影響が大きかったと思います。周りの外国人の子どもたちは、僕を見て日本を判断する。中学生ながらそこに誇りや責任を感じていました。自分の母方がそういう血筋だということは小さいころから知っていたから、日本人が日本の文化を背負う醍醐味や責任感を全うする必要性も感じていたんです。そして同時にロックなども続ければいいと。
19歳で雅楽を始めたからこそ「なぜ?」と思えた
──「雅楽かロックか」とはならなかったのですね。
東儀さん:よく「家業を継ぐために、これを諦めました」みたいな話を聞くじゃないですか。でも、僕は「白を選んだからって、なんでみんな黒を捨てるんだろう」って不思議で。
僕の場合は「雅楽しかない」という意識で進んだわけではないのです。東儀家としての責任や誇りも感じていたし日本人としての責任みたいなものも感じていたのと並行して、逆にロックを選ぶにしても、雅楽を知らないまま「僕はロックだから雅楽はやらない」と否定するのも説得力がないと思ったんです。
雅楽を知ったうえで「僕には向いていない」ならやめればいい。とにかく味わってみなければ何も見えてこない。それで試しに味わってみたら、その魅力に純粋に惹かれ、従順にそこにいる自分がいたわけです。
── 結局、雅楽にハマったのですね。とはいえ、19歳から雅楽を始めるのはかなり遅いそうですね。
東儀さん:宮内庁の楽部にいる楽師は、小さいころから雅楽の素養を身につけている人がほとんどです。僕は19歳で入ろうとして「もう遅い」と一度断られました。でも、そこでカチンと来て(笑)。「年齢だけでダメというのはいかがなものか。試験を受けて、それでダメなら諦める」と食らいついて、試験を受けさせてもらいました。その結果、僕の能力を理解してもらうことができたようで、入学が許されたんです。
僕としては、ロックやジャズをやってきたことも、雅楽を理解するうえですごく役に立ったと思っていて。比べることで初めて見えることって、いっぱいあるでしょう。雅楽とロック、ジャズ、クラシック、歌謡曲を比べることで、雅楽の魅力をより感じられるし、「ジャズはこうなのに、なぜ雅楽はこうなんだろう」と疑問が生まれる。その「なぜ?」が探究心につながったんだと思います。
親は親。自分は自分の子育てを貫く
── 雅楽をご両親から強制されなかったからこそ、雅楽師としての今があるのかもしれませんね。柔軟で素敵なご両親だなと感じました。
東儀さん:実は強制しようとするほど雅楽にこだわっている親ではなかったのです。完全に商社マンの環境でしたから。ただあまりに僕が音楽に夢中だったので「しかたなく」そういう方向になっただけのことです。
だから、「雅楽の道を強制されなかったから」というのではないのです。雅楽師としての今があるのは、僕の音楽への情熱によるものと思っています。あくまでも親の都合でしたが、海外生活での経験が今の自分につながっていると感じていて、そういう経験には感謝しています。
だから両親の育て方が今の自分の子育てに関係しているかといえば、そんなことはないのです。僕が息子にやってきたことは、いわば「自分発祥」。自分のひらめきで育てている感じなんですよね。

── 自分のひらめきで育てるというのは、どういうことでしょう。
東儀さん:たとえば息子が小さいころ、「ねえ、パパ」と声をかけてきたら、僕がどれだけ真剣に作曲している最中でもスパッとやめ、目を見て「なあに?」と返事をして、必ず最後まで聞いていました。
子どもが話しかけてくるのって、一番話したいときじゃないですか。そこで「あとでね」と言って時間差が生まれると、その熱が下がってしまう。本当に言いたかったこと全部ではなく、要約した箇条書きみたいなものしか出てこなくなる。それはもったいないと思うんです。