雅楽師として国内外で活躍する東儀秀樹さん(67)。若いころにがんを患い、医師から「あと1年の命」と診断された経験があります。悲観的な場面でも、「なぜ自分が」と落ち込むことはなかったと言います。そんな東儀さんに、死を身近に感じた経験から見えてきた人生について聞きました。

「余命1年」25歳で医師の言葉を偶然耳にし

東儀秀樹
雅楽師としてミュージシャンとして多方面で活躍する東儀さん

── 現在67歳の東儀さんですが、20代のころ、がんを経験されたそうですね。

 

東儀さん:19歳で遅まきながら雅楽の道を志し、宮内庁で雅楽の楽生(がくせい/宮内省式部職の楽部に属して楽事を修得する人)をしていた25歳のころでした。雅楽師として舞をするなか、屈伸をすると左膝が痛むようになり病院に行ったんです。検査後、「膝の皿状の骨の中に腫瘍が見つかったので、取り除く必要がある」と言われ、手術をしました。摘出した腫瘍を生検に出し培養して調べたら、悪性のがん「骨肉腫」だとわかったんです。

 

当時は、本人にがんを告知する時代ではなかったので、僕には知らされませんでした。腫瘍を取ったらすぐ退院できるはずなのに、なかなか退院させてもらえない。「なんでだろう」と思って、医師や看護師に聞いてもはぐらかされ、きちんと答えてくれないんです。

 

ある日、親が面会に来たときに「ご家族の方だけいらしてください」と言われたので、僕はそっと後をついていきました。そこで医師が母に「かなり悪性で、この若さの場合、リンパに乗ってしまうと体じゅうに転移してしまう。あと1年の命と覚悟してください」と話しているのを聞いてしまいました。

「1年後に死ぬならそれまでガンガン生きよう」

── 20代半ばで余命宣告をされたわけですよね。ショックや不安で自暴自棄になりそうなところですが…。

 

東儀さん:それが、不思議とちっとも怖くなかった。「ああ、そうか。僕の人生は26歳で終わるんだ」と冷静に受け止める自分がいました。「だったら、26歳で死ぬまでガンガン生きればいい。凹まずにワクワクすることだけやって過ごせば、自分の人生をまっとうできる」というふうにしか考えなかったんですよね。

 

── 26歳の若さですんなりと死を受け入れられたのは驚きます。残りの人生を悔いないように過ごすことを最優先に考えたということですか?

 

東儀さん:そうですね。生けてある花を見て「美しい」と思えばすぐ絵を描き始め、曲が思い浮かんだら五線紙に書き留めて。「自分が死んだあとに作品として発表してほしい」ということではなく、ただ、自分の人生に納得したくて、思いついたことを全部やっていました。

 

そのうち体調が悪くなっていくのだろうと思っていたのですが、数週間経っても何も起こらない。むしろ日を追うごとに数値がよくなり、元気になっていったのです。そのうちがん細胞がほとんど消えていることがわかりました。

 

── そんなことがあるとは…よくなった原因はあったのでしょうか。

 

東儀さん:入院中の治療や薬の服用はいっさいなく、治療方針を考えている間に好転したので、原因は医師にもわからなかったようです。「2〜3年延命をするために、付け根から足を切断する」計画もあったくらいで。手術の準備に入ったものの、僕があまりに元気なので、主治医が「ちょっと珍しいタイプかもしれない、様子をみよう」と待ってくれた。そして定期的に通院することを条件に退院させてもらいました。

 

僕は大喜びで退院して、それ以降、通院もしていないのです。しかも、それ以来、体はなんともないのです。あのとき「どうして僕が…」とか「なんでこの若さで死ななきゃいけないんだ」と嘆いたり、落ち込んだりしていたら精神的にも肉体的にもがんに負けていたかもしれません。